気づきの伝道師 藤井一規です。
わからないことがあったとき、知っておく必要があるのに
わからないと言えずにそのままにしてしまうことがあります。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17236/
この記事の目次
「人間なんて、どっかでちゃんと帳尻が合うようになってるのね。20代は20代の青さとか未完成な部分がある。そこを恥ずかしがったり隠したがったり、うまくごまかしたりしてきた人は、あとで絶対しっぺ返しが来るよ」
by 矢沢永吉(ロックミュージシャン)
わかる必要があるのに、わからないって言えないことがある。
状況によっては、別途教えてもらったほうが良いこともあるけれど、
放置したままにするのは望ましいとは言えない。
もうしばらく掘り下げていく。
<わからないって言えない>
「わかりません」って言うことを恐れている人は多い。
相手のほうが、この人はわからなくても当たり前だ、
と思っているときならともかく、
相手から、
「どうしてわからないの?」「前にも言ったじゃないの!」
「何度も言ったじゃないの!」「私の言うことを聞いてなかったの?」
と、叱られてしまい、委縮する経験をしてしまう。
こうした経験を繰り返していると、
「わかりません」と言うことをためらってしまいがちになる。
これを最初に経験するのは、おそらく親子の間だろう。
そして、幼稚園・保育園、学校の先生・・・
先輩後輩、上司部下などと相手、立場は変わりながらも
繰り返されていくことになる。
言われたときの、あの心地の悪さを思うと、
気軽に「わかりません」と言えなくなってしまったりする。
<わかるレベル>
しかし、考えてみれば「わからない」という状態は、
初めは誰にとっても当たり前の状態だと言える。
そこから、学びをしたり、自ら発見したりしながら、
次第に「わかった」状態になっていく。
「わかった」状態にも、いくつものレベルがあるものだけれど、
伝える側と受け取る側とのあいだにギャップがあったりする。
親や先生、先輩、先達たちは、
身につけてもらいたいことを伝えていく。
しかし、受け手である私たちに受け取り易いように
伝えてもらえるとは限らない。
しっかり受け取ることができたかどうかを
充分に確認しないままだったりする。
それに、受け手の準備のレベルによって、
同じ言葉を聞いても、受け取る深さが異なってくるものだ。
受け手が、いくら真面目な顔で、「わかりました」と言ったところで、
受け手が受け取り、消化できたレベルまでに過ぎない。
<伝え手をないがしろにしていないけれど>
受け手が、決して伝え手のことをないがしろにはしていなくても、
伝え手は「確かにわかったと言ったのに。。。」と思ったとき、
自分がないがしろにされたような感覚を持ってしまい、
怒りに結びついてしまったり、嘆きにつながってしまったりする。
伝え手は、自分の思いと受け手の理解との間には、
大きくて深いギャップがありうるのだと、知っておく必要がある。
理解のレベルが違ってしまうことと、
相手をないがしろにすることとは違う。ということを覚えておきたい。
<相互理解のために>
伝え手は、「わかりました」と言ってもらえただけで安心するのは早すぎる。
どんな理解をしたのかを、相手から示してもうらうほうが安全と言える。
あいまいな言葉になるような場合は、すぐに
具体的な構想や、参考イメージを出してもらったりするほうがいい。
早めにギャップを埋めることができるからだ。
逆に受け手は、わかっていないと感じたら、
「わかりません」と伝えたり、
「わかった」と思っても、自分の理解を伝え返して、
理解があっているか確認したりすることは
とても大切なことだと覚えておきたい。
わからないまま放置しておくと、
人間関係を破綻させたりする可能性もあったりする。
その場しのぎさえすればいいのではなく、
大切なことは、素直に「わかりません」と伝えて、
わかるようにしておいたほうが
却って賢いと知っておきたい。