気づきの伝道師 藤井一規です。
好きなように生きる。
って魅力的な言葉です。
しかし、好きなように生きることが本当に幸せなのでしょうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17259/
この記事の目次
「死が訪れたときに死ぬのはオレなんだ。だから自分の好きなように生きさせてくれ」
by ジミ・ヘンドリックス(アメリカのミュージシャン)
好きなことに熱中している時間は、
幸せな時間だと言える。
しかし、好きなことだけをして生きていくことは
なかなか難しいのも現実。
もうしばらく掘り下げていく。
<好きなことに取り組む幸せ>
自分がやりたいことを見つけて
一生懸命取り組んでいたときのことを思い出してみる。
うまくいっているときはもちろん、
うまくいかなくても熱中していられた時間は、
幸せだったことに気が付く。
何歳であろうとも、どんな状況であろうとも、
やりたいことがあり、やりたいことに取り組むって素晴らしい。
しかし、日々の生活を送っていくために、
時間と労力を払わなければならないこともあったりする。
<選択権>
私たちには、自分が何に取り組むのかを選択する権限がある。
しかし、親であれば子供のためにだったり、
生きていくための収入を得るためだったり、
ときには好きではないこと、やりたいことではないけれど
取り組むことがあったりする。
ここで、苦労したり、大変な思いをすることを
誰が選択していると捉えているかを確認しておきたい。
自信をもって、自分が選んでいると言えるかどうかだ。
自分が選択しているのなら、選択を変えることができる。
誰かの選択の責任を委ね、不平不満を言っているとしたら、
選択の責任を自分に取り戻すことを考えたほうがいい。
<愛の選択か痛みの選択か>
次は、しなくてはならない選択なのか、
したいからしている選択なのかを確認しておきたい。
「しなくてはならない」だったり、「すべき」だからしている選択は
痛みの選択と呼ばれる。
実は、それらは手放すことが可能な選択だ。
どのようにしたら手放せるか、可能性を探る価値がある。
「したい」「やりたい」から来ている選択なら、
取り組む価値がある。
痛みの選択をして、愛の選択をあきらめているのなら、
選択を変える可能性に気づき、
できるところから変えていきたい。
自分の人生は、自分のものとして、生きていきたい。