気づきの伝道師 藤井一規です。
誰しも、自分がいかに大変だったかを訴えたいと思うもの。
しかし、成果を出していくためには、
それだけでは足りない。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17290/
この記事の目次
「ここまでいかに大変だったかではない。やり抜くかどうかだ」
by マイケル・ジョーダン(米の元プロバスケットボール選手)
大変だった。
だけでは足りないものがある。
とことんやり抜くことができるかどうかが、
大きな成果をだせるかどうかを決めている。
もうしばらく掘り下げていく。
<努力>
どんなことも、途中で終わってしまったとしたら、
成果として認められにくい。
私たちは、つい日々の大変さ、これまでの辛さを
訴えたくなるもの。
そして、その努力をしている自分を認められたくなるものだ。
ただ、どれほど頑張ったのだとしても、
完成するところまでやり切って初めて、
真の成果だと認められる。
結果が出ないうちは、まだ途中。
結果を出して初めて、評価されるもの。
同じように頑張っていたとしても、
やり切ったかどうかで、大きな違いが生まれてくる。
<認めていく>
もちろん、誰かを応援していくならば、
普段の頑張りに気づき、認めていきたい。
その誰かが自分であれば、自分の頑張りを、努力を
しっかり認め、褒め、ねぎらっていきたい。
そして、未完了のままにはせず、
たとえ一旦や暫定であっても、完了した状態にもっていきたい。
最初から完璧なものにする必要はない。
必要とあれば、あとから修正したり、追加したり、削除していけばいい。
一つの形にしてしまうことで、
宙に放り出したような状態から抜け出すことができる。
<やり抜く>
押しも押されぬバスケットボールのスーパースターであった、マイケル・ジョーダン。
しかし自分では、何度も失敗し、敗北を味わってきたことを知っている。
それでもあきらめずに努力し続けた。
精進していって、トップと言われる選手になった。
誰しも、辛いこと、大変なことは避けて通りたいと思うもの。
しかし、大変だと訴えたり、大変さを認めてもらえたとしても、
成果を手にすることは難しい。
成果は形にして初めて評価されていく。
<人生の成果>
やり抜くことができたかどうかで、
人生での成果として認められやすいものが増えていく。
家を建てることだとしても、
時間と労力をたくさんかけても、
屋根が付く前に終わってしまったものは、
すぐに雨風に痛めつけられ、廃墟と化していく。
壁や窓が無ければ、暮らしていくことは難しい。
曲がりなりにも、家として機能するレベルにもっていくことで、
役に立つものになり、認められていく。
せっかくの人生、これを成し遂げたといえるものを
作っていきたいもの。