気づきの伝道師 藤井一規です。
楽天的な人がいれば、厭世的な人もいるものです。
楽天的になったほうが良いように考えがちなものですが、
本当にそうなのでしょうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17329/
この記事の目次
「賢い人は、徹底的に楽天家である」
by アンドリュー・カーネギー(米の実業家)
ほら、やっぱり楽天家のほうがよさそう。
そう思えるかもしれないが、そうとばかりは言えないかもしれない。
もうしばらく掘り下げていく。
<楽天家の特徴>
楽天家にはどんな特徴があるのだろう?
楽天的であることは、のんびり屋でもあったりする。
危機が迫っていても、きっと大丈夫だろうと高をくくってしまい、
もう少し早く手を打っておけば助かったのに、
そのチャンスを逃してしまう可能性がある。
もちろん、いかなる理由であれ、悲惨な状況になってしまった後は、
楽天家のほうが、立ち直りやすいと言える。
物事をポジティブな方向から捉えようとすることは、
気持ちを明るくし、意欲をもたらしてくれる。
しかし、ときに周りにもそれを押し付けてしまったりもする。
ときに慎重さを欠いて、無防備だったりする。
<人生様々>
確かに、徹底的に楽天的であったなら、
抱いた大きな夢を実現可能と考える。
可能だと考えなかったら実現性させていくことは難しい。
それでうまくいかなかったとしても、
立ち直るチカラも強い。
しかし、誰もが楽天的な面と、厭世的な面を持っていて、
どこかでバランスをとりながら生きている。
慎重になることが、メリットになることも多い。
かけがえのないものを失いたくない、守りたいと思えば、
手放しの楽天ではいられなかったりする。
<選択しよう>
私たちには、選択するチカラがある。
楽天的にいくことも、厭世的にいくこともできる。
自分がどういう選択をする傾向があるかを知り、
肝心なところでは、どんな選択をするかは
自分で決められることを思い出していきたい。
チームがあるならば、楽天的に考える役割の人と、
安全の点から考える役割の人がいるといいかもしれない。
どんなリスクがあるのかで、対応方法を変えたほうがいいかもしれないからだ。
迷ったままの状態でいると、
進むことも退くこともままならなくなってしまったりする。
ここはこうしようと、決めて進んでいけば
得られるものがきっとある。