気づきの伝道師 藤井一規です。
何かを成そうとする意欲を持っている人たちがいます。
そういう人たちは、どのようにしてこうした意欲を持つことができるのでしょうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
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この記事の目次
「私は少しも恐れるところがない。私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ」
by 野口英世(細菌学者)
自分が生まれてきたのには、何か理由がある。
まだ命があるということは、まだ何か成し終えていないことがある。
そう考えると、何かを成そうという気持ちになりやすいかもしれない。
しかし、生まれてきたのには、理由があるのだろうか?
もうしばらく掘り下げていく。
<生まれてくる理由>
人が生まれてくるのに、何か理由があるのだろうか?
「ある」という人もいるが、それを証明することは難しい。
特に意味はなく、ただ生まれてきたのかもしれない。
理由がないからこそ、自分は何のために生まれてきたのだろう?
何のために生きているのか?と、
悩み、苦しんでいる人が多いのではないだろうか?
与えられたものが何もないのに、
それを見つけようとして、探し続けている人が
多いのかもしれないのだ。
何が正解なのかがわからないために、
悩み続けてしまったりする。
だから、人はただ生まれてきた。
と考えたほうが自然だ。
<意味を与えることができる>
何かのために生まれてきたのではないのなら、
生きている意味がないのでは?
そう考える人もいるかもしれない。
しかし、生まれてきたことに理由はなくても、
いや、特に理由がないからこそ、
自分で理由を与えることができる。
自分で、人生の意味を、生まれてきた理由を決められる
という自由が与えられているのだ。
もし、生まれてきたことに与えられた理由があるのとしたら、
それと違うことをしたのでは、生まれてきた理由を満たせなくなってしまうが、
自分で理由を与えるのであれば、
すべてを正解にできる。
<すべて正解>
そう、どんな人生も正解なのだ。
何かから与えられた、生まれてきた理由をもとめて
さまよい続けるのではなく、
自ら何事かを成そうとしたほうがいい。
何か大きなものに、自分の人生を定めてもらったほうが、
楽ちんなのかもしれませんが、
自分の意思とは違ったものでも、それに従うのでしょうか?
自分の思いとは違うことをさせられるのは、
残念なことではないでしょうか?
自分の人生には、自分で意味を付けられる。
自分で生まれてきた理由を付けられる。
自分の望むことができる。
と考えたほうが、人生は輝いていくのではないでしょうか?
<人生を輝かせよう>
せっかくの命、せっかくの人生、輝かせていきたいもの。
それには、自分で取り組みたいことを決め、
成し遂げようとしていけばいい。
自分が望んだことのためなら、
意欲をもって取り組むことができる。
実現すればうれしいし、夢を描くだけでも
わくわくしてくる。
自分の人生を輝かせることって、
誰にでも、きっとできる。