気づきの伝道師 藤井一規です。
教える立場に立とうとするならば、
安易に誰かの師となってはいけないと言われたりします。
どうしてなのでしょうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず」
by 吉田松陰(武士、思想家、教育者)
師弟関係というものは、安易にすべきではないという。
一度結べは、よほどの理由がない限り解消されないものだったりするからだ。
もうしばらく掘り下げていく。
<師事する>
師弟関係は、一度結べはそう簡単には解消することができない。
古い考えだと言われるかもしれないが、
師弟関係とは、親子同然の関係という考え方だった。
ちょうど、その家の子として存在するように。
一度結べば、師が死に至ったり、
師が教えることをやめてしまうまでは、
そのまま継続だが普通だ。
特に、弟子制度を続けているものや、
**道とよばれるものはその傾向が強そうだ。
あとからこちらの先生のほうがいいから、といって、
変わろうとすることを許さなかったりする。
それだけ、それぞれの家を大切にしようとしている。
安易に誰かに師事するものではない。
と言われる理由だ。
<指導する>
師匠としても、一度師弟関係を結べは、
弟子の成長に関して、責任を持つことになる。
自分の子が成長していくときにするように、
どのように育てるか、弟子の段階、タイプを見極めて、決めていく。
自分がこうだったから、というワンパターン
ではうまくいかないことが多い。
来るものは拒まず、去る者は追わず。
そんなふうに軽く扱うことを拒絶し、
真剣であることを求められる。
<人間関係>
人と人との関係なだけに、
ときにそりが合わないってこともありうる。
そんなときは、変わることを許してもらいたいところだけれど、
それぞれの家の主人である師匠の
弟子である皆さんの成長に期待し、
安易な変更を許さない。
それだけ、師弟関係は強い結びつきを持っている。
<成長>
どんなことも、安易に流れるばかりでは、
その真髄をつかむことはできない。
真髄がどこにあるのか、
探し求める者にだけ、その答えのヒントをくれたりする。
師匠を選ぶことも、弟子をとるときにも、
真剣さが求められている、
師を渡り歩いたほうがというのは、西洋的。
師は師たるべき成長を
弟子は師を越えていく努力をしていくことで、
新しい段階に入っていくことができる。
安易に師を決めたり、安易に弟子にしないことは
実は重要なことだったりする。