気づきの伝道師 藤井一規です。
正義というと、なすべき正しいこと、というイメージがあるかもしれないけれど、
本当にそうだろうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理屈さえつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである」
by 芥川龍之介(作家)
正義は、正義だと考える人の立場よって異なったりする。
ある人にとっての正義は、別の人にとっては、暴力になってしまうこともある。
もうしばらく掘り下げていく。
<戦争と正義>
戦争にするにあたって、勝てるかどうかを考えるのはもちろんだけれど、
戦争をする大義名分があるかどうか、が重要な意味を持つ。
世界にプレゼンスが高い国であればあるほど、
戦争を始めるに値する正義があるかを気にしている。
なによりも、大国がその利益のために
小国を蹂躙するようなことは許されない。
そこで、戦争するのはやむを得ないと
説明するための理由に、「正義」が一番役に立つ。
<異なる正義>
しかし、この「正義」というやつは、
誰にとっての正義か?によって、
全く異なっていたりする。
決して唯一無二というものではない。
ときには、対立する二つの正義が戦うことになったりする。
最近のスリランカでのテロ事件は、
ニュージーランドでのモスクでの乱射事件がきっかけだったと言われている。
神聖な宗教施設においての凶行を受けた身として、
仕返ししようとするときに、正義を訴えたりする。
人道的には、両方ともあってほしくないことだけれど、
正義を成そうとしていると考えたりする。
<正義は一つではない>
正義が語られたとき、正義とは敵にも味方にも
なりうるものだと気づいておきたい。
語る人にとっての正義なだけであって、
反対の立場の人にとっては、
それは単なる暴力だったりする。
正義感に駆られて何かをするとき、
身勝手な暴力になっていないか、
立ち止まってみる必要がある。
<正義の見極め>
その正義、誰にとっての正義なのか?
その解決方法は、関係者全員にとって
長期的に健康的な解決策になっているか?
冷静に考えておきたい。
例えば、恨みを晴らしたいと思うとき、
報復は新たな報復を生み出しかねない。
正義だからと成そうとすることが、
必ずしも望ましいではない可能性があるのだ。
是非考えていきたいもの。