気づきの伝道師 藤井一規です。
愛とは、どういうものだろうか?
愛していると、好きな人に告白するとき、
それは愛なのだろうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17505/
この記事の目次
「本当の愛は、もはや何一つ見返りを望まないところに始まるのだ」
by サン=テグジュペリ(フランスの作家、操縦士)
愛と恋との大きな違いのひとつは、
相手からの見返りを求めるかどうかにあるかもしれない。
もうしばらく掘り下げていく。
<恋する心>
恋する相手に一方的に心焦がれるということがある。
しかし、相手からの反応が冷たいものだとすると、
次第に冷めていってしまう。
ほんのちょっとでも、相手が自分を意識してくれていると思えると
この上ない幸せを感じることができる。
あなたに向かってニッコリ笑顔を見せてくれたというだけでもいい。
たとえそれがあなたの後ろに人に向かってなされたものであっても。
自分に向かってしてくれたって思えたらいい。
恋には、どこか相手の心のなかに自分の居場所を
求めていたりする。
<愛する心>
愛する相手に愛を注ぐとき、
相手の心の中に、自分の居場所があればもちろんうれしい。
しかし、たとえ相手が何の反応を示さなかったとしても、
相手に価値を認め、自分が愛情を注ぎ続けることができる。
そこに見返りを求める気持ちはない。
相手のためになることを考え、そのための行動をとる。
恋も同じような行動をとることがあるが、
どこかで、その行動を、その行動をしている自分を認めてほしい
という気持ちを伴っている。
愛するときには、そうされなくても
続けていくことができる。
<恋と愛>
恋愛、という言葉が示すように、
似たとこもあるのは事実。
しかし、恋は奪うもの、愛は与えるもの、
と言ったりするように、
恋には自分に相手から何かしらを得ようとするところがある。
愛には、相手から何も得らえれなくても
与えることで成立する。
また、恋に落ちるという表現があるように、
恋しているという、状態になるもの。
愛は、意図をもって、自らしていくものだ。
<恋をしよう、愛そう>
愛のほうが崇高だ。
ということになったりするけれど、
恋することって素敵なこと。
恋焦がれる何かがあるっていい。
恋に命を燃やす時間があってもいい。