気づきの伝道師 藤井一規です。
人は、まだ実際にはやってきていない
未来のことを考えることができます。
そして、今日の次に来る日のことを
明日と呼ぶことにしました。
明日について、
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17602/
この記事の目次
「『明日』という言葉は、優柔不断な人々と子供のために考案された」
by イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ(ロシアの作家)
なかなかおもしろい考え方。
誰しもが今を生きているが、
まだ来ていない次の日のことを明日と呼び、
すでに存在するものとして扱うことにしている。
それは、今日では収まらないことを未来に期待している。
もうしばらく掘り下げていく。
<今を生きる私たち>
私たちは、今現在、この瞬間を生きている。
過ぎ去ってしまった瞬間は、過去のものとなり、
何かしようとしてもできない。
私たちは、今この瞬間に多くのことを決めたり、
実行しなくてはならかったりする。
ところが、迷いが生じて決心できなかったり、
すべきことをサボってしまって、
先送りしてしまうことがある。
<明日の登場>
私たちは、何の確証もないにもかかわらず、
今日と同じような時間が、
夜のあとやってくると想像することができる。
これまでと同じように、また一日がやってくるように思っていて、
今日できなかったことを埋めてくれる日にしようと考える。
そして、今日より明るい日として、明日と呼ぶことにした。
「明日やればいい」
そう考えることで、今日やらないことに
許可がでるような気持ちになる。
この先延ばしは、繰り返し起こりやすい。
<成長や可能性>
昨日よりも今日、今日よりも明日と、
人は成長することができる。
特に子供たちは、ときに短時間で大きな成長を遂げることがある。
そんな子どもたちにとって、
明日は、まさに明るい日だと言える。
大人になっても、成長していくことはできる。
下がっていく能力もあるかもしれないが、
それを埋めていったり、付き合っていったりすることも
人生だと言える。
明日には大きな可能性がある。
<明日をより有効に>
とはいえ、単に先延ばしにしているのだとしたら、
考え直したほうがいいかもしれない。
決断が遅くなればなるほど、修正することは難しくなってしまったりする。
明日を優柔不断のためにつかってしまうのはもったいない。
人生の時間には限りがある。
今を、そして明日をよりすばらしいものにしていくことを考えていきたい。