気づきの伝道師 藤井一規です。
崇高なもの、美しいもの、どちらも私たちの心に
迫ってくのものがあります。
崇高さ、美しさについて、
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「崇高なものは我々を感動させ、美しいものは我々を魅了する。森は夜崇高であり、昼美しい」
by イマヌエル・カント(独の哲学者)
崇高なものも美しさのひとつ。
カントは、単なる美と崇高さを区別して考えていた。
森は夜は崇高で、昼は美しいという。
もうしばらく掘り下げていく。
<崇高さ>
崇高と言う言葉は、あまり使う機会がないかもしれない。
大辞林 第三版によれば、
すうこう(崇高)
( 名 ・形動 ) [文] ナリ
1. けだかくて、とうとい・こと(さま)。 「 -な魂」
2. [sublime] 西洋美学において、古代ギリシャ以来の古典的調和美と対比される、
ゴシック式大聖堂やアルプス山系などの壮大な美。また、それによって喚起される高揚感。壮美。
とある。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説によると、
カントは、大きさにかかわる数学的崇高と力にかかわる力学的崇高とを区別しながら、
その大きさや力がわれわれにはとらえきれないような
圧倒的なものであることを崇高の根本性格とした。
感性的なもののなかに無限なものを体験する感動が崇高であり、
ここにカントは自然と自由の結合の可能性をみた。
とする。
<圧倒的なもの>
ところで、どんな圧倒的なものを感じたことがある?
大自然のすばらしさだったり、迫力だったりするかも。
単に美しいものとは違う心への迫り方がある。
カントは夜の森に、壮大さ、無限の奥深さを感じ取っていたのかもしれない。
古来、世界中に山や森には神が宿るという考え方がある。
そして、同じ森ではありながら、
昼間の森には、色鮮やかな木々や、花といった美しさがある。
一見、単に美しいものにも、
本質的なチカラ、迫力、奥深さを備えている、
ということも伝えようとしているのかもしれない。
<感じよう>
ときには、崇高なものに触れる機会を持つのは、
素晴らしい経験になるかもしれない。
偉大なもの、壮大なもの、圧倒的なものは
自分の存在について考える良い機会になるかもしれない。
心を刺激してくれる体験は、
きっと心を豊かにしてくれる。