気づきの伝道師 藤井一規です。
何かを実行に移そうとするときに、
あれこれと口を出したり、口達者な人のほうが、
実行力や実力の面では劣っていることのほうが多かったりします。
どうしてそういう傾向になっていくのか、
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「ほんとうに黙することのできる者だけが、ほんとうに語ることができ、ほんとうに黙することのできる者だけが、ほんとうに行動することができる」
by セーレン・キルケゴール(デンマークの哲学者、宗教思想家)
黙する者のほうが、真実を知っている。
また、何かを取り組むときに、
黙することのできる者こそ行動できる。
というこの言葉。
どういうことなのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<真実を知るもの>
あれこれとうわさ話や推測の話をしている人たちは、
真実が何かを知らないからしていたりする。
何が本当かがわからないから、こうじゃないか?ああじゃないか?
とあれこれ推測をする。
事実を知ることができたなら、
今度は、どうしてそうなることに至ったのか?
起きた理由を推測し始める。
もし真実を知っているのなら、そういう推測話をする必要がない。
長い時間をかけて語られていることの多くが、
実のあることというよりは、
興味本位の推測話といえるかもしれない。
<実行力>
何かを始めるにあたり、あれこれと不安だったり、
迷いを口にする人がいるもの。
もし、経験のある事、実践する力を持っているのであれば、
これらのことを口にする必要がない。
どうやら私たちは、何か欠けているものがあるとき、
それを埋めようとして、おしゃべりになりがちなものらしい。
確かに、おしゃべりが気づきをもたらしてくれることもあるが、
おしゃべりに花が咲けば咲くほど、
時間が浪費されていくことに気づいてもいいかもしれない。
<真実と実行力のありか>
私たちはつい、にぎやかに語られていることのほうに
巻き込まれていきがちなのだけれど、
真実と実行力は、にぎやかに語られていないところにある、
と言えるかもしれない。
多くを語らずに、取り組んでいる人のほうが
真実を知り、実行力を持っているのかもしれない。
あれこれと盛り上がっている人たちよりも、
黙々と取り掛かっている人たちに関心を向け、
何をつかみ、どうしようとしているかを聞いてみると、
あなたもあっさりと実行できてしまうかもしれない。