気づきの伝道師 藤井一規です。
悪いことが行われていると知りながら、
見て見ぬふりをしてしまう。
そんなことを経験することがあるかもしれません。
どのようにしていけば良いのか、
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/17871/
この記事の目次
「悪を罰しない者は、悪をなせと命じているのだ」
by レオナルド・ダ・ヴィンチ(伊の芸術家、万能人)
善悪の基準は、人によって異なることはあるが、
明らかに認められるべきではない、と思われることに気づいても、
見て見ぬふりをしたくなることがあるかもしれない。
なぜそうなっていくのか、
どうしていけば良いのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<見て見ぬふり>
放置すべきでないことが行われているにもかかわらず、
見て見ぬふりをしたほうがいいと思ってしまうことがある。
悪いことをしている人を咎めることで、
自分が巻き込まれることになっていく。
責任を負担することになるのが嫌だ。
関わることで自分の時間が失われる。
勇気が出ない。
目立ちたくない。
・・・
こうした考えに囚われて、
「巻き込まれたくない」、「何もしない」という選択をしてしまう。
しかし、こうした選択は、悪を助長することになっていく。
いじめ問題などは、こうした「巻き込まれたくない」「何もしない」
という選択によって培われていたりする。
悪を見て見ぬふりすることは、悪を助長することになる。
<傍観者効果>
特に、複数の人が悪を目撃したとき、
傍観者効果と呼ばれる、見て見ぬふりが起きることが知られている。
周りの誰も行動を起こさないとき、
自分もしない方がいいような一種、空気を読むようなことが起きたりする。
また、これだけの人がいるのだから、誰かがやってくれるだろうと考えたり、
責任を取りたくない、関わりたくない、という思いが起きたりする。
実際に、多数の人が犯罪が起きていると気づきながら、
誰も行動を起こさなかったせいで、人が亡くなるという事件もあったりする。
もしあなたが行動を起こしていれば、
悪がはびこることが防ぐことができたかもしれないのに。
<見て見ぬふりの理由>
悪に対処することは、
あなたが何らかの行動をとるということ。
行動するためにはその分時間も取られるし、行動には責任が伴う。
ひょっとしたら、自分の立場が悪くなる可能性もある。
見て見ぬふりのほうが安全策のように思うかもしれない。
しかし、その悪を放置していたら、いつか自分にも降りかかってくる可能性が高い。
自分が被害者になるリスクを放置していることになる。
自分を被害者の立場に置いたとき、
被害が食い止められるような社会にしていくためには、
見て見ぬふりは罪なことだと言える。
<対処法>
確かに見て見ぬふりをしたくなることは起こりうる。
そんなときは、
自分に問いかけてみる。
これは放置しておいてよいことなのか?
放置しておいたとき、生活していくうえで望ましい環境になっていくか?
もしNoならば、何か行動を起こすべきだ。
自分だけでは勇気が出なかったら、
周りに働きかけてみる。
共に傍観者になっている人がいれば、
お互いに傍観者となってしまっていることを気づきあう。
迷いがあるならば、助けを求めてもいい。
信頼できる人に相談してみるのもいい。
見て見ぬふりを続けていれば、必ず自分にもその悪は降りかかってくる。
望ましい環境をつくる責任を持てる人になっていきたいものだ。