気づきの伝道師 藤井一規です。
人はそれぞれが違っている。
違っているからおもしろい。
誰かに憧れて、その人になろうとしても、
なれるわけではない。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
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この記事の目次
「君が僕と同じように感じたり、理解したり、君が僕のようになるなんて望んではいない」
by ボブ・ディラン(米のミュージシャン)
自分が他の人と違っていることは、歓迎すべきことだ。
しかし、私たちは気づかないうちに同じであろうとしすぎているかもしれない。
もうしばらく掘り下げていく。
<多様性>
生物は多様性を持っているほうが、
生き残る可能性が高い。
例えば、地球が氷河期になっていくときには、
寒さに対応できない種は絶滅してしまう。
ある種の病気が蔓延したとき、
同じ種の中でも、耐性のある者がいたりすれば
生き残ることができる。
もし全くのコピーだけだったら、
あっという間に絶滅してしまうかもしれない。
近親者だけで結ばれて何世代もたっていくと、
特定の病気になりやすくなったりすることが知られている。
多様性があるということは、
本能的に望ましいことだといえる。
<同一性>
ところが一方、私たち人間は社会生活を送ることによって、
繁栄をしてきた。
そこでは、社会に属するためのルールがある。
ときには明文化されていなくても、
文化という名前だったり、常識という名前のもとに、
同じものを大切にしようという傾向も持っている。
それは、家族、地域、そして国というまとまりを作ってきた。
多くの場所で、君主に従うという形で国は成り立ってきた。
<大衆化>
こうした君主制が崩壊し、市民革命がおきた後、
大衆化という現象が起きた。
それまでは、表面的に君主が求めるところだけ従っておけばよかったが、
自分たちで何もかも決め、作り上げていかなければならなくなったとき、
意見がバラバラだと困ってしまう。
そこで、周りと同じであることが良い、
という考えのもとに大衆化が始まった。
すると、とびぬけた存在や、異端な存在は疎外されはじめ、
自分なりの思考をする者は、邪魔者扱いされていく。
そしてあるとき、魅力的なリーダが登場すると一斉に心酔し、
反するものはのけ者になったりした。
ヒトラーやムッソリーニといった存在は、民主主義の名のもとに、
思考を放棄して大衆化した民衆が生み出してしまった。
ひとりひとりが冷静に判断できていれば、避けられたはずなのだ。
<自分なりに>
社会生活を送る中でも、ひとりひとりは違っている方がいい。
他人と同じであろうとすればするほど、自分らしさを殺してしまう。
比較対象が多ければ多いほど、どんどん平均化、均質化していく。
そんな社会では感情の振幅もどんどん減っていくほうが都合がいい。
能面のような表情のない、コピー人間の集まりのようになってしまう。
それとは違って、目の前にとても魅力的な人がいて、
その人のようになろうと、同じように感じたり、
物事を理解したりしようとすることがあるかもしれない。
しかし、その人になろうと自分を失くしてしまうのではなく、
その人の良さを、自分の中に取り込んでいく方向で考えていきたい。
私たちは違っていることに、価値があるのだから。
【君が僕と同じように感じたり、理解したり、君が僕のようになるなんて望んではいない】
★どんなあなたならでは、がありますか?★