気づきの伝道師 藤井一規です。
一日、一日を生きていく私たち。
一日を終えたとき、新しい体験をたくさんしています。
その結果、何かが変わっていきます。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「一日生きることは、一歩進むことでありたい」
by 湯川秀樹(理論物理学者 )
ときには、うまくいかなかったり、失敗をする日もあるかもしれない。
それでも、その一日を過ごすことが学びとなり、教訓となって、
人生を通してみたら、一歩進むことでありたい。
もう少し掘り下げていく。
<一日の価値>
同じ一日でも、価値が違うなって感じることがあるかもしれない。
ものすごく充実していたり、
学びが深かったっていう日もある。
夢に向かって、大きく前進できたって感じられる日もある。
かと思えば、一日グダグダ、ゴロゴロして
過ごしてしまうなんてこともある。
しかし、進んでいないようでも、ときには時間の経過が必要なこともある。
運動すれば、筋肉がどうしても痛む。
その筋肉の回復期間が必要だったりもする。
<一歩進む>
もちろん、来る日来る日、怠けてばかりいれば、
前進することは難しい。
一日あれば、どんな小さな一歩でも、前に踏み出しておきたい。
進んだ分、できた分、自信をつけることができる。
出来なかったら、出来るようになるための準備ができる。
工夫をする機会になる。
うまくいかない方法を知ることに成功したのだから。
長い目で見たときに、あの苦しみがあったから、
今があると言えればいい。
明らかには進むことができなくても、
準備が整っていくのならそれでいい。
<自分のペースで>
慌てて焦って進んでもいいけれど、
ゆっくり進んでもいい。
世界水泳を見ていても、選手それぞれにあったペースがあったりする。
マラソンを見ていても、常に先頭集団に居なくてはならないわけじゃない。
オーバーペースで走れば、早々にバテてしまったりする。
自分のペースで続けたほうがよかったりする。
ときには休憩したり、回り道をしたほうが、
長い目で見たら、遠くまで早く到達できるかもしれない。
目標だけを見つめて、わき目を振らずに一直線もいいけれど、
ゆく道を楽しみながら、足元の花に目を止め、香りをかぎながら進むのもありだ。
人生という視点で、一日生きることが、一歩進むことでありたい。