気づきの伝道師 藤井一規です。
愛し、愛されることは喜びです。
しかし、ときに人は自分の利害のために愛する
という考えを持ってしまうことがあります。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「未熟な愛は言う、『愛してるよ、君が必要だから』と。成熟した愛は言う、『君が必要だよ、愛してるから』と」
by エーリッヒ・フロム(独の社会心理学者、精神分析者、哲学者)
未熟なうちは、自分の利益のために何かをするという選択が多い。
しかし、成熟していくと、
必ずしも自分の利益にはならないことであっても
何かをすることが増えていく。
愛することは、なおさら見返りに基づくものではない。
もう少し掘り下げていく。
<成長は受けとって>
成長するとき、何らかの恵みを受け取っている。
経験を得たり、知識を得たり、
なんからの学びとともに、新しい発見があり、成長がある。
何かを受け取っている。
成長は何歳で終わる、というものではない。
何歳であろうとも、何かの恵みを受けていく。
私たちはこの世に生まれて以来、
ずっと何らかの恵みを受け取ってきている。
<与える>
成長していくと、与える喜びにも気づくようになる。
与えることが、相手の成長につながる。
誰かの成長を喜ぶことが、
大きな自分の喜びであることに気が付く。
自分に必要だから何かをするのではなく、
自分に必要であろうが、なかろうが、
与える大切さがあることに気づいていく。
<愛すること>
それに、愛することに理由は要らない。
見返りを求めて愛するのは、まだ本物とは言えない。
ただ誰かを愛すること、無償であっても愛することが
とても大切になっていく。
愛することが先にあるのだ。
<子どもを愛すること>
自分の子どもが生まれてきたら、
親にとっては大変な期間がやってくる。
子どもは親の都合とは無関係に、求めてくる。
見返りはほとんどないかもしれない。
それでも愛おしく感じ、
愛を注いでいく。
子どもにとって親は、なくてはならない存在だ。
親は自分のことではないのに、
子供の成長がとてもうれしかったりする。
ニコッとしただけで、寝返りをしただけで、
ハイハイができるようになっただけで、
この上ない喜びを感じることができたりする。
<愛を与えていく>
こうした与える喜びは、相手が自分の子どもでなくても味わうことができる。
与えることで、相手に何かが起き、成長していく。
そのことが、大いなる喜びの素になって行く。
必要だから愛するのではなく、愛しているから必要なのだ。