気づきの伝道師 藤井一規です。
どれほど大変な状況でも、希望があれば耐えられたりします。
生きていくうえで欠かせない希望について
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/18103/
この記事の目次
「いくら知恵があっても、これを使う勇気がなければ何の役にも立たないように、いくら信仰が厚くても、希望がなければ何の価値もない。希望はいつまでも人とともにあって、悪と不幸を克服するからである」
by マルティン・ルター(ドイツの宗教改革者)
知恵は使わなければ、役に立たない。
信仰があっても、希望を持てなければ価値がない。
信仰は救いになるけれど、希望がないところでは、
生きようとする気力が失われてしまう。
もう少し掘り下げていく。
<知識と知恵>
知識と知恵はとても重要なものだ。
知っているか、いないかで、人生には大きな違いが生まれてくる。
知っていることを活かす知恵もだ。
主な銀行預金の利率は、0.001%だったりするが、
ネット銀行などの中には、0.1%というところもあったりする。
その差は実に100倍だ。
そして、いくらその情報を知っていても、
実際に預金しなかったら、その恩恵にはあずかれない。
法律だって、知らなかったでは済まされない。
裁判になれば、法律を知らなくても法律に基づいて裁かれていく。
知っていれば、不利な状況を回避する可能性だってある。
それも、知っているだけではなくて、知恵として使う、
実践があって初めて価値を生み出すことができる。
<希望のありか>
希望のチカラは偉大だ。
今がどんなに大変でも、よくなると確信できていれば
耐えることはそれほど難しくない。
もう少し頑張ろう!という気持ちが湧いてきやすい。
しかし、今の酷い状態が、いつよくなるのかわからない状態、
希望が持てない状態だとすると、
不安が膨らんでしまい、もし今が悲惨な状態なら、
途端に耐えがたいものになっていく。
私たちの想像力は、思い描いたものを無限に拡大するチカラがあるからだ。
<希望はある>
もし、解決したいけれど解決できないことがあって、
悩んでいることがあるかもしれない。
多くの人は、解決できない。。。解決するほう方法がない。。。
と考えてしまう。
ちょっと考えてみれば、解決する方法が存在しない、というのと
解決する方法を知らない、というのとは大きな違いがある。
知らないだけ、気づいていないだけなら、
解決する方法があるってことだ。
解決する可能性があるにもかかわらず、あきらめてしまったりする。
あきらめてしまったら、解決の可能性が潰えてしまう。
それに私たちが「不可能だ」と思うとき、
自分の現状、環境だけしか考えに入れてはいないことがほとんどだ。
何か根本的な条件を変えたり、全く新しいリソースが加わったら、
状況は一変したりする。
希望はきっとある。それに気づいていないだけなのだ。