気づきの伝道師 藤井一規です。
豊臣秀吉は、百姓の出身でありながら、
天下をとることに成功した、立身出世の典型と言えます。
その考え方にはきっと学ぶところがあるはず。
今日は人付きあいについての一言について
しばらく考えていきます。
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「人と物争うべからず、人に心を許すべからず」
by 豊臣秀吉(武将・関白・太閤)
人と物事で争うのは避けるべき。これはわかりやすい。
しかし、人に心を許してはいけないという。
この後半は特に、言葉通りに取らないほうがいいかもしれない。
どういうことなのか、
もう少し掘り下げていく。
<天下を目指すにも>
天下をとれるのは、一度にはたったの一人だけ。
また、ひとりだけのチカラで天下をとることは不可能だ。
多くの支援者がいて、賛同者がいて、初めてその可能性が生まれる。
対抗する相手がいるとしたら、その相手を上回る
支援者、賛同者が必要になってくる。
単に量だけでなく、質的にもだ。
となると、なるべく人間関係に遺恨は残したくない。
何かで争うと、自分が勝てば、相手は恨みを残してしまってしまう。
かと言って、争ってしまえば負けたくはない。
だから、できる限り争いごとは避けたほうがいいとしていた。
<戦国時代>
戦国時代には、さまざまな小国が存在し、
味方と思っていた者が、裏切るということはよく起こっていた。
特に小国であれば、生き残りを賭けて、必死になっていた。
とても良好な関係を築いていても、
罠にはめられてスパイ役をさせられるというケースもあったし、
闘えば明らかな敗北となる状況を突き付けられて、
味方に付けば、有利に計らうとされれば、
国や家の存続を優先しようと考える人も現れてくる。
戦わずして勝つことを重視していた秀吉は、
翻る者たちの多いことも目の当たりにしてきた。
肉親同士の争いもたくさんあった。
人をいかに味方に付け、味方のままでいられるかは、
とても重要な課題だった。
<人たらし>
その点、秀吉は、人たらしであったと言われている。
自然に相手の懐に入っていき、相手の心を開かせていくことが上手かった。
心の琴線に触れることができていた。
変化のおきがちな人の気持ちに
くさびを打つことをしていたと言える。
秀吉は、それだけ慎重になっていたと言える。
良好な関係だからと放置していると、人の心は知らないうちに
離れていってしまうかもしれないことを知っていた。
これは、現代の私たちにも役立つ考え方だろう。
心を許すべからずとは、人を疑って心を開かない、という意味よりは、
人間関係は、油断して安心しきっていてはいけない。
つながり続けることを意識しなさい。
という意味のほうが当たっているのではないだろうか。