気づきの伝道師 藤井一規です。
1番であることと、2番であることにに大きな差があるといわれます。
どんな違いがあるのでしょうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「ローマで二番になるより、村で一番になりたいものだ」
by ガイウス・ユリウス・カエサル(共和政ローマ期の政治家、軍人)
一番と二番との差は、二番と三番との差より大きい。
なんとなくわかる気がする。
どうも私たちは一番のものに意識を奪われ、
二番以降への意識はかなり低くなりがちらしい。
それをどう活かしていけばいいのか、
もう少し掘り下げていく。
<二番目に高い山>
私たちは一番のことは覚えているか、二番目のことは意外に覚えていない。
世界で一番高い山は?
と聞かれたら、「エベレスト」と答えることができるが、
では二番目は?
と聞かれたら、途端に答えられる人は少なくなくなってしまう。
三番目は推して知るべし。。。
ちなみに、二番目は「K2」、三番目は「カンチェンジュンガ」
同じように、日本の一番高い山は日本人なら、ほぼ誰もが知る「富士山」
二番目は、、、南アルプスにある「北岳」、三番目は「穂高岳」
だが、ほとんどの人は答えられない。
これは、様々な分野でも同じこと。
宝塚歌劇団のトップスターは知っていても、二番目は???
ファンならともかく、まず頭に浮かんでこない。
<トップであること>
どうもトップであることは、特別な意識をもたらす。
一番になれたとしたら、
自信を持つことができるし、
自分の存在が特別なもののように感じられる。
人間は社会生活を送るようにできていて、
他の人との関係を持つ必要に迫られる。
そのときに、自分が劣っていると感じることは避けたいし、
自分が他の人から認められるかどうかはとても重大な問題になる。
一番であれば、それらは明らかにクリアされる。
二番は、どこかに一番に負けたとか、劣ってしまったという意識を伴う。
一番の特別さは、私たちが一番は覚えているが、それ以外は覚えていない
ということにつながっている。
<トップになってみる>
トップになる経験は、私たちに特別感を与えてくれる。
それがどんな小さな集まりであってもいいし、
どんなたわいもないことでもいい。
マニアックなことであっても、一番はやはり特別。
一番を目指して努力することは、とても自分のためになる。
あなたが成長を見守る役ならば、
その子が、その人が一番になる機会をもたらすことは、とても大切なこと。
自分の存在価値を確認できる機会は大切。
そして、自分の周りの一人一人すべてが同じように
とても重要で、特別な存在だと気づけるようにしていきたいもの。