気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは、ひとりひとり違っています。
同じことを目指していても、やり方は全く異なったりします。
江戸末期から明治初期、大変革期に大きな役割を果たした大久保利通の言葉を
しばらく考えていきます。
「彼は彼、我は我でいこうよ」
by 大久保利通(武士、政治家)
私たちの悩みの最大の原因は、人間関係。
つい、人からどう思われるかを意識してしまったりするもの。
たとえ人から嫌われようとも、自分なりの道を進んでいった大久保利通。
もう少し掘り下げていく。
<アプローチの違い>
よく同じ目標に向かっているのに、
やり方の違いで対立してしまうことがある。
同じ目標であるなら、アプローチのしかたでもめるのは、とてももったいない。
同じ目標を目指す同志として、相手を認めることはできるはず。
認め合う関係であれば、
お互いの考えの長所、短所も冷静に受け留めあえたりする。
たとえ一つの考えには統合できなくても、
アイディアを見直したり、拡げるきっかけになる。
<ひとりひとり>
わたしたちは、ひとりひとり違っている。
自分のことをわかってもらうための努力は、したほうが良いけれど、
必ずしもわかってもらえるとは限らない。
他の誰かがあなたのことをどう考えるかを気にしても、
その誰かの考えを変えさせることは困難。
目指していることが、長期的に健康的で望ましいことなのであれば、
自分の決意を示し、行動を示していけばいい。
それがどんなものであっても、
人の真剣さは伝わっていく。
そして、望ましい結果を示していけばいい。
<葛藤>
ただ、何かを進めていくのに、多くの人の賛同があったほうがうれしい。
誰しも自分を否定されたように感じることは、
辛いものがある。
しかし、だからといって自分の本音を封印したり、
捻じ曲げてしまうことは、ストレスになってしまう。
認められていたい、という思いと、
正直な素の自分を出したい、という思いとが葛藤し、
悩みにまで膨らんでしまうこともある。
<何がそこにあるか>
自分が目指すもの、何を実現しようとするものを確固として持ち、
示していくようにしたい。
また、誰かが妙な方向に向かおうとしているとき、
私たちはつい、今とっている行動だけに注目し、
自分と違うと否定してしまいがち。
その背景にどんな思いがあり、何を目指し、
何を実現しようとしているのかを知ったとき、
受け留め方は変わる可能性がある。
違うアプローチがあることを認める可能性がある。