気づきの伝道師 藤井一規です。
人生窮地に追い込まれるってこともあります。
そんな時、どう対処していけば良いのでしょうか?
しばらく考えていきます。
http://shitsumon-alacarte.com/mental/18168/
この記事の目次
「人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。しかし、死地におちいれば、それでおしまいだ。だから、おれは困ったの一言は吐かない」
by 高杉晋作(長州藩士、尊王攘夷の志士)
高杉晋作は、「困った」とは言わないことで、
何とか解決方法を見つけ、窮地を乗り超えようとした。
窮地に陥ったときに、どう解決していけば良いか、
高杉晋作の言う通りで本当にいいのか?
もう少し掘り下げていく。
<窮地>
高杉晋作は、窮地はまだ活路が見いだせると考えていた。
あきらめない限り、何か方法があり、なんとかなると考えていた。
そのカギは、父から教わった、「困った」と言わないことだった。
困っているということは、進む方向がわからなくなっていることを示す。
たしかに今までと同じように進むことはできなくても、
どこかに突破口がある。
これまでは思いつかなかったところに、
きっと突破口があると考えていた。
<突破口>
自らのチカラで突破口を見つけられれば良いが、
ときには自分ではなかなか突破口を見つけられないことがある。
あとから冷静になってみれば、どうしてあんなことをしたのだろう?
こうしておけば、解決できたのに!と思うことってあるはず。
冷静になれれば、解決できることも多いものだ。
またスキルや情報を手に入れたら、簡単に解決出来たりすることもある。
あきらめる前にできることはあるもの。
しかしそれでも、突破口が見つけられないこともある。
<困った>
そんなときは、「困った」と言ってもいい。
困ったは、あきらめてはいない。
今のできる範囲を超えたと思っていることを示しているけれど、
解決したいという意欲がある。
高杉晋作は「困った」とは言わずに解決できたけれど、
ひとりで抱えて、苦しみ続けていくよりは、
誰かの助けを借りてもいい。
高杉晋作はカッコよすぎかもしれない。
可能な限り自らのチカラで解決しようとした。
それが、「困った」とは言わないことに表れている。
<困ったもあり>
特に仲間がいるとき、組織で動いているときには、
手遅れになる前に「困った」を発信したほうがいい。
ひとりで「困った」ままでどうしようもなくなるより、
新しい可能性が生まれてくるからだ。
もちろん、なんでもかんでも「困った」と言えばいいというものではない。
解決できる範囲を拡げていく努力は必要で、
その究極が高杉晋作のことばとなるのだろう。