気づきの伝道師 藤井一規です。
必ずしも順調とは言えない国際情勢のニュースが伝わってきます。
多くはそこに自国を豊かにしようとか、自国を守ろうという意図、
愛国心があります。
この愛国心について、
しばらく考えていきます。
http://shitsumon-alacarte.com/mental/18175/
この記事の目次
「本当の愛国心とか勇気とかいうものは、肩をそびやかしたり、目を怒らしたりするようなものではない」
by 伊藤博文(武士、政治家)
愛国心というと、時代遅れに思う人もいるかもしれないが、
自分のルーツ、生まれ育ってきた環境、文化を大切にすることは誰にとっても重要なこと。
自分の所属するところに、なんらかの
望ましい貢献をしようという意識は常に持っていたい。
最近の国際ニュースにどうにも違和感があるのは、
この言葉に反していると感じることが多いからかもしれない。
愛国心をあおることは、戦争にも利用されてきただけに、
もう少し掘り下げていく。
<自分は何者か>
自分が日本人であることを強く意識したのは、
仕事で海外に住むことになったときが初めてだったかもしれない。
日本人としてとして迎えられると意識したとき、
自分のアイデンティティは何だろう?
その一つとして、日本人として誇れるものは何だろう?と考えた。
そのとき、日本人であることを誇りに思えるような教育を
あまり受けてこなかったことに気づいた。
最近になって、やっと日本のすばらしさを取り上げるテレビ番組も増えてきた。
もっと日常の中、学校教育の中で
しっかりと身につくようにしていきたいもの。
自分の生まれ育った環境、文化に誇りを持てることは、
自分自身の誇りにもつながっていくのだから。
<愛国心の悪用>
内政がうまくいかないときには、愛国心に火をつけよ。
という言葉が政治の世界にはある。
自分たちのまずいところに注目されないように、
国内がうまくいかないのは他の国が悪いからだ!
と、ことさらに主張するものだ。
確かにこの悪者他国作戦は、国民の目をそらすことには成功することが多い。
だからよく悪用されてしまう。
しかし、目をそらしただけでは問題の解決にはなっていないのは明らかだ。
だから、愛国心をあおるような動きを国のトップがするときは、
何か都合の悪いことを隠そうとしているか、
国のためにではなく、トップの人たち自身のために
都合よくしようとしていると考えたほうがいい。
愛国心は、本当に国のためになることのために発揮するもの。
何が本当の問題なのか?
よりよくしていくために、本当は何をすべきなのかを考える前に、
世の中の風潮にただ流されてしまうのは考えもの。
<愛国心とは>
愛国心を考えるとき、
「肩をそびやかしたり、目を怒らしたりするようなものではない」
という伊藤博文の言葉は、示唆に富んでいる。
自己の確立のためには大切でも、
独りよがりな自慢をしたり、敵をつくることに使うものではない。
自分たちの属する社会をよりよくするために、
自分側にある問題は解決し、対等に付き合いながら、
お互い、そして全体としてより望ましい状態になって行くためのものと言えそう。