気づきの伝道師 藤井一規です。
賢者と愚者との違いはどこにあるのでしょう?
自分は必ずしも賢者ではないとしても、
愚者とならないためにはどうしていけばいいのか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
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この記事の目次
「愚者は己が賢いと考えるが、賢者は己が愚かなことを知っている」
by ウィリアム・シェークスピア(英の劇作家、詩人)
愚者から抜け出すヒントは、
自分の愚かさを知っていること。
しかし、自信を持つ大切さと反するようにも思える。
もう少し掘り下げていく。
<謙虚であること>
自分の愚かさを知っているということは、
謙虚さを持ち続けるということだ。
自分が全てを知り、必ず最善の答えを出せる、
というような人はいない。
私たちの知識や経験は、自分が持ちえた限りある中から
得てきたものだからだ。
自分が過去成功したからといって、
現在通用するとは限らない、ってことも起きる。
野球選手が、高校野球では大活躍しても
プロでは通用しないってことはよくあるように。
日本では活躍できても、世界では難しいってことも起きるように。
今うまくいっているからといって、
有頂天になり、思いあがってしまっているとしたら、
考え直したほうがいい。
<謙虚と自信のなさ>
もちろん、生きていくうえで、自分に自信を持つことは大切なこと。
だとすれば、謙虚であることは、
自信を持つことと反するように思われる。
しかし、謙虚であることと、自信を持てずにいることとは
違うことに気づいておきたい。
自分が成長してきたこと、成長のためにしてきたことは
認めていけばいい。
自信を持って生きていけばいい。
ただ、思いあがってしまうことは避けるべきだ。
自分の持つもの、知るもの以上がありうること、
それらを得られたのは、多くのおかげであることを
覚えておきたい。
<気づくものは限られて>
「千と千尋の神隠し」を久しぶりにテレビで見て、
あっ!と気づいた表現がいくつもあった。
何回も見たはずなのに、
こんなところにもメッセージが表現されていたと、
改めて気づくことができた。
実生活では、繰り返し体験するなんてことはできない。
気づけることには限りがあると言って間違いない。
これは、こういうものだ、と決めつけたり、思い込んでいることにも
今の自分が気づいていないことがあるかもしれない。
今の自分が気づけていることには自信を持っていいが、
もっと深い意味が隠されているかもしれない。
自信は持っていいが、
謙虚さも持ち合わせておきたい。