気づきの伝道師 藤井一規です。
誰しも人生の岐路に立つことがあります。
これだと信じて選ぶこともあれば、
これで良いのだろうかと迷いながら選ぶこともあるでしょう。
人生の選択について、
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/18302/
この記事の目次
「疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引き返すことは出来ないんだ」
by 太宰治(作家)
私たちは、未来を見通すことができない。
だから、今、選択肢のなかから一つを選ぼうとするとき、
どれが最善かを知ることはできない。
ではどのようにしていけばよいのか、
もう少し掘り下げていく。
<人生には選択がつきもの>
私たちは人生において、大きな選択に迫られることがある。
進学にしても、就職にしても、結婚にしても、
複数を同時に選択することはできないことが多い。
現在の時点で、どれかひとつ、最善だと思えるものを選ぶことになるが、
どの選択が最善なのかは、選択の時点では知ることができない。
そして一度選択したら、過去に戻って選択し直すというわけにはいかない。
期限までに、自分で答えを出す必要がある。
人生にはこうした選択をいくつもしていくことになる。
<スッキリとした選択>
過去に戻って再選択ができないのなら、
納得できる選択肢を選びたい。
そのためには、自分で納得できるまで情報収集することが大切だ。
多くの場合、誰かから与えられた、ありきたりの情報をもとに判断をしがち。
入る学校を選ぶときに、学びたいことの前に、入れる学校という条件から始まったりする。
学びたいことが無ければ、学校に行くのも嫌になってしまったりする。
本当に知りたい情報が無い状態なのにもかかわらず、
そのまま決定してしまうことがあったりする。
自分だけでは手に入らないとしても、
手に入れようとしなければ、始まらない。
集める努力を十分したうえで、スッキリと決めていきたい。
<決めた選択を最善に>
スッキリ決めたいけれど、すべての情報を集めることは難しいし、
情報が無いまま決めなくてはならないこともある。
あれこれ考えても決まらず、直観に頼ることもある。
スッキリ決まっても、迷いながら決めたことでも、
選択したならば、引き返すことはできない。
ああ、あっちを選択すればよかったとか、
いつまでもくよくよと後悔していたら、
貴重な人生の時間を無駄にしてしまう。
ならば、決めた以上、その選択が最善となるようにしていけばいい。
もし間違ったなって思っても、
決めた時点では最善と考えたはず。
後から考えたらより良い選択肢があったとしても、
常にその時点の最善の道を選んできたことを悔やむ必要なんてない。
次の似たような選択のときに、
身に染みて、より望ましいものに近づくことを学ぶことができたはず。
まずは、決めた時点において、最善をつくした自分を
信じて進んでいけばいい。
断固として信じて進めば、迷いながら進むよりも、
進むチカラを強くすることができる。