気づきの伝道師 藤井一規です。
責任ってどんなものでしょう?
責任を持つことは、生きていくうえで大切なことです。
責任の捉え方について
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/18333/
この記事の目次
「『私にはその行為に責任があるのだろうか?ないのだろうか?』という疑問が心に浮かんだら、あなたに責任があるのです」
by フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(露の小説家、思想家)
どのように責任を捉えていくかは、
その人のあり方に大きな影響がある。
責任とは何か、
もう少し掘り下げていく。
<責任とは>
責任とは何だろう?
誰かとともに一つのことに取り組もうとするとき
「責任範囲」を明らかにしようとすると、
うまく逃げ回ろうとする人が現れたりする。
どうやら、面倒なことは引き受けたくない、
果たさないと「追及」されるというマイナスの意識が生まれ、
できるだけ持たないようにしておきたくなったりする。
しかし、物事、だれかが主体的に責任感を持って取り組まなければ、
うまく進めることができない。
責任範囲が明確になっていないと、関係者全員と調整しない限り
何も決まらないことになったりする。
何か問題が起きても、誰も主体的に動く人が現れず、
誰かに押し付けあうようなことが始ったりする。
それぞれが、自分が主体的に取り組む責任範囲を「役割」をとして意識し、
その役割を果たすことに「責任」を持つことは
仕事でも、日常生活でも大切なことだ。
<責任と役割>
役割を分担しながらともに取り組んでいることがあるとき、
何らかの問題が発生することがある。
すると、責任範囲に基づいて誰が主体的に動くかが決まって動き出す。
そのとき、つい自分の責任範囲ではないと、
指示があるまで何もしなくていい、と考えてしまいがちになる。
しかし、自分もその仲間の一人であるならば、
その問題を乗り越えていくために果たすべき責任がある。
とくに「私にはその行為に責任があるのだろうか?」という疑問が浮かんだときは
相当大きな責任があると考えていい。
もちろん、役割である責任範囲を超えて何かしなさい、ということではない。
あなたの役割において、できることはないか、まず考える。
<100%責任があるとしたら>
何か問題や課題があるときには、
このことに100%自分に責任があるとしたら?
と考えてみる。
自分の役割を果たす中で、問題を防ぐことはできなかったか?
問題の解消に役立つことはできないか?
質問を自分に投げかけてみる。
責任範囲ではないからといって、他人事のように捉えるのではなく、
全員がそれぞれの役割に対して自分のこととして責任を感じて主体的に動くとき、
その組織は強いものになっていく。