気づきの伝道師 藤井一規です。
人を動かすものは、愛と恐怖だと言われます。
どちらも人を動かすチカラとなりますが、
どのような違いがあるのでしょうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/18410/
この記事の目次
「貧乏に対する恐怖に人生を支配させてしまえば、その報酬として食べていくことができるだろう。しかし生きることはできなくなる」
by ジョージ・バーナード・ショー(アイルランド出身の劇作家、社会主義者)
貧乏に対しての恐怖があれば、それを回避することができる。
しかし、単に貧乏を回避するだけで、本当に良いのだろうか?
自分の人生を考えるとき、本当に望ましいこととは何なのか?
もう少し掘り下げていく。
<人を動かす恐怖>
人を動かすチカラとなるものには、2種類あると言われる。
それが、恐怖と愛だ。
恐怖があれば、それを避ける努力をする。
これは、自分を守るためにはとても重要なものだ。
確かに、恐怖は感じないほうが幸せだとは言えるが、
スピードを出している車が走っている道路を
平気で横切るなんてことはしないほうがいい。
命の危険があるにも関わらず、無防備なままというのは
避けるべきことだ。
同じように、自分が傷つく恐怖があれば、
避けようとしたりすることは、自然なことだと言っていい。
恐怖心は、自分を守るために発動する大切なものだ。
<人を動かす愛>
人は愛があれば、そのための苦労はいとわない。
大切な愛する人のためになら、命を投げ出してでも、
ということすらあったりする。
どうしてもやりたいことならば、
いくら時間やお金がかかってもやりたい、
という思いを止められなかったりする。
愛する気持ちのあるところ、
行動するエネルギーが湧いてくる。
<人生を生きる>
だから、貧乏になることに恐怖があるのなら、
それを避けようとすることができる。
避けることに成功すれば、生活してくことはできる。
しかし、ただ生活していくことができるだけで、
本当に満足することができるのだろうか?
心からしたいこと、どんなことがあってもやりたい!
そう思うことをしない人生で
本当にいいのでしょうか?
恐怖から逃れるだけで精一杯の人生になるだけでは足りないのだ。
愛からくる選択を、自分が本当に望んでいることに取り組む必要があるのだ。
是非、考えていきたい。