気づきの伝道師 藤井一規です。
世の中では、信じられないような出来事が
起きたりすることがあります。
しかし、ものすごいことが起きて、見たり聞いたりしていても、
そのまま通り過ぎてしまっていることがあります。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/18689/
この記事の目次
「事実は小説より奇なり」
by ジョージ・ゴードン・バイロン(英の詩人、男爵)
この言葉は、誰もが一度は聞いたことがあるかもしれない。
あなたもそんな出来事に出会ったり、
聞いたことがあって、この言葉が添えられたりしてきたかもしれない。
この言葉を通しながら、意識の持ち方について
しばらく掘り下げていく。
<フィクションとノンフィクション>
この言葉は、
世の中の出来事(ノンフィクション)は、作られた小説(フィクション)よりも
不思議だったり、奇妙だったりすることがある。
という意味だ。
しかし、フィクションで表現されていることは、
現実ではありえない、不可能なこともいっぱいあるはず。
にもかかわらず、特異な出来事があると、
この言葉が使われたりする。
それはどうしてなのだろう?
<事実の重み>
私たちは、フィクションが想像上の作り事だと知って受け留めている。
どんなに奇妙奇天烈なことが表現されていても、
どこか現実とは違った、別のモノとして捉えている。
しかし、実際に自分の身に起きることだと思って受け止めるとき、
小説の中の、現実とは違う世界のこととは、受け留め方が違ってくる。
私たちは通常、事実と小説の中とで、同じことが書かれているのだとしても、
実際に起きたことのほうを、遥かに重みをもって捉えているのだ。
<自分にとっての重み>
加えて、起きたことが事実だとしても、
自分に関わるものだと感じられるかどうかで、
受け留め方は全く変わってくる。
どこかの見知らぬ国で、クーデターが起きたりしても、
ああ、そうなんだ。程度で終わってしまうかもしれない。
しかし、自分の知り合いが住んでいると知っている国だとしたら、
いったい何事が起きているのか?あの人は大丈夫だろうか?と心配になる。
アマゾンで大火災が起きているというニュースが伝わってきても、
ああ、そう。程度に思ってしまう人もいる。
アマゾンの森林が失われることで、
地球環境の大異変につながってしまうかもしれないと、
思い至る人にとっては、一大事になっていく。
<何を重要と捉えるか>
そう考えてみると、絵空事だったり、ふーんそうなの。
って片づけてしまうようなことの中にも、
とても重要なことが含まれているようだ。
誰かが、目の前で叱られているのを見て、
自分のことじゃなくて良かったと済ませるか、
自分に当てはめてみて、さらには応用・展開してみて、
こういうときも気をつけなきゃなって、
学びに変えていくことができるかで、
大きな違いが生まれてくるように。
<何に注目するか>
ところで、きょうの言葉は、
辞書を引いてもバイロンの言葉として載っている。
しかし同時に、実際にはそうは書かれていない、とも記載されていたりする。
どうやら、
奇妙な事だが、真実だ。
真実は常に奇妙であり、
作る事よりも奇妙であるから。
と書いてあり、
「フィクションを現実的でなく絵空事だと貶す態度に対して釘を刺すための言葉」
として書かれているとのこと。
今日の言葉を、バイロンの意図を汲みながら捉え直してみる価値はきっとある。