気づきの伝道師 藤井一規です。
飲食店、駅前のコンビニなどの店員さんが、
外国人という場合が増えてきました。
多民族化が少しずつ進んでいるという印象がありますね。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/18773/
この記事の目次
「今こそ我々は、我々の違いに目をつむるときである。そして第一に、我々は同じ、共通の問題を持っていると着目することが、我々にとって最良であると認識するときなのだ」
by マルコムX(米の黒人公民権運動家)
黒人に対する差別的なところがあったアメリカで、
黒人の公民権獲得のために活動したマルコムXの言葉をきっかけに
多様化していく社会でのありかたについて
もうしばらく掘り下げていく。
<違いを持つ私たち>
私たちは、ひとりひとり違っている。
違いがありながらも、共に同じ社会の中で暮らしている。
違いには性格の違い、考え方の違い、様々な違いがある。
そこでは、違いからくる対立ではなく、
同じ社会にいる仲間としての意識が優先されている。
最近、私の職場の食堂では、隣に座った人たちが、
英語でも中国語でも韓国語でもなく、アジア系とおもわれるが
聞いたことのない言葉で話しだすことも珍しくない。
しかし、同じ一つの会社の社員として働いている。
<実は多民族な日本>
単一民族だと思われがちな日本。
別の民族の人たちと暮らすことにはあまり慣れていないと言われる。
しかし、実際にはアイヌやヴィルタ、ニヴフといった北方系
琉球民族をはじめとする南方系
そして華僑や朝鮮系日本人といった複数の民族が共に暮らしている。
更にはブラジルをはじめとする移民も増えつつある。
こうした多民族が共に暮らす社会だ。
<違いに目をつぶって>
アメリカの場合は、アフリカから奴隷として多くの人たちが連れてこられた。
自分たちのほうが優れているという思い込みもあって、
差別的な捉え方が大勢となってしまった。
過激な運動もしていたマルコムXであるが、
違いを嫌うもとにするのではなく、同じ地に住む仲間として
共通の問題に目を向けていくべきだと訴えてもいる。
<違いを活かしあう>
自分との違いがあるとき、
つい違和感があったり、嫌いなことのほうに意識が向かいがちだけれど、
よく考えてみると、違う相手のほうが優れているところもあったりする。
違う文化、違う考え方をしているから、
自分にはできない発想を持っていたりする。
それは、遥かに大きな可能性を持っていることになる。
多様だからこそできることがあるのだ。
そう、違いを嫌う方向ではなく、活かす方向に捉えていくほうがいい。