気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは英知をもって困難を乗り越え、
幸せを得ようとしていきます。
しかし、知っているつもりになって失敗してしまう、
ということが得てして起きてしまいます。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「唯一の真の英知とは、自分が無知であることを知ることにある」
by ソクラテス(古代ギリシアの哲学者)
「無知の知」として知られるこの言葉。
自分が無知であることを自覚することが、
真の英知なのだとしている。
知っているつもりになっているこの言葉について、
もうしばらく掘り下げていく。
<未知の知>
ソクラテスの考え方は、革命的だった。
それまでの哲学者と言えば、
自分は万物の根源を知っている知者(ソフィスト)
であることを主張するものだった。
これに対して、ソクラテスは、自分は何も知っていはいないことを
自覚することこそが大切で、自分はソフィストではないとした。
ただ、何も知ろうとしない「無知」なのではなく、
「不知」のほうが妥当だとも言われる。
知りたいが、今はまだ知らないという意味なので、
私は「未知」、「未知の知」のほうが好みだ。
<デルフォイの神託>
ソクラテスが「無知の知」にたどり着いたのは、
デルフォイの神託がきっかけだった。
古代ギリシャにおいて最も重要で神聖な場所とされていたデルフォイの神託所で、
神の預言として巫女を通じて伝えられる言葉のことだ。
あるとき、ソクラテスの弟子が、アテネで一番の知者は誰かと
デルフォイの神託所で尋ねた。
すると、「一番の知者はソクラテスである」と告げられたという。
ソクラテスは、この言葉の意味するところを知ろうとした。
いったい何をもって一番の知者とされたのだろう?
神の考えを知ることなどできるはずがない。
とあきらめることは簡単だ。
しかし、そういわれても、他の知者たちがすぐ納得するとも思われない。
誰よりも、ソクラテス自身がわからないし、知りたいと思った。
<知者の自慢>
そこで、知者や賢者と呼ばれる人たちを訪ね歩いた。
彼らは誰もが、自らの英知を自慢気に語った。
デルフォイの神託のうわさは広がっており、
ソクラテスよりも知者であることを示そうとした。
ソクラテスは、その英知だと自慢していることが
思い込みであったり、特殊な場合に成り立ったり、
重要な例外を見落としていたりすることを次々に明らかにしていった。
<ソクラテスの気づき>
こうしているうちに、ソクラテスは他の知者との重要な違いに気がついた。
自分はまだ知ってはいないことを自覚し、
さらに知ろうとしている。
この姿勢こそが最も重要なのだと。
自分が正しい英知を持っていると思い込んでいれば、
他の考え方を拒絶しようとしてしまう。
知らないと思っているがゆえに、
新しい考え方に対してもオープンでいられる。
知りたいと思っているから、より多くの考え方と出会うことができる。
そして、より本質に、より核心に迫っているかを
冷静に見極めることが可能になる。
「無知の知」「不知の知」「未知の知」
改めて考えてみる価値がきっとある。