気づきの伝道師 藤井一規です。
人は愛されたいと願っています。
愛し、愛されることで、自分の存在を感じられます。
しかし、自分には愛がないと感じてしまったり、
周りから愛されていないと感じてしまっていることがあります。
どうしていけば良いのでしょうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/18937/
この記事の目次
「愛を恐れることは、人生を恐れることだ。人生を恐れるものは、すでにほとんど死んだも同じだ」
by バートランド・ラッセル(英の哲学者、論理学者、数学者、貴族)
愛と恐れとには深い関係がある。
恐れは愛を追い出してしまうことがある。
反対に愛によって恐れを克服することもできる。
もうしばらく考えていく。
<愛されたい>
私たちは誰もが、
「受け入れたもらいたい」「認めてもらいたい」「愛されたい」という思いをもっている。
これらは、単なる願いといったものではなく
生きていくうえでとても大切なものだ。
こうした思いが満たされることで、
ここにいていいと思えるし、
自分には価値があると感じることができる。
逆に、受けいれられていない、
認められていない、愛されていない
と感じたままでいると、生きていくことが恐ろしくなってしまう。
<愛されるための努力>
だから、何とか愛されようと、様々な努力をしていく。
愛されるためには何をすればよいかを必死で考え、
そのための努力をし続けていく。
例えば、子どもが「良い成績をとること」が
親から愛されることだと思い込んだとしたら、
頑張って、頑張ってそうあろうとする。
「大人しくまじめであること」が認められることだと思えば、
自分の本意とは違っても、そう思われようとしてしまう。
しかし、自分の気持ちとは違って
成績が落ちてしまうようなことが起きたとき、
親から見放されてしまうのではないか?
といった恐れを抱えることになる。
恐れは、生きるエネルギーを蝕んでしまう。
愛されようと望ましい努力することで、
自分を成長させることはできるが、
愛されることとは直接つながってはいないのだ。
<恐れを追い出す>
愛と恐れとの関係を考えてみると、
自分に愛がない、愛が足りないと感じるときは、
自分の中の恐れのほうが、愛より上回っているときと考えられる。
そして、愛されたいと意識するときは、
愛が不足していると感じ、このままではいけないという恐れを抱えている。
愛を与えてくれる誰かを、リモートコントロールすることはできないし、
もし、リモートコントロールできた相手がいたとして、目一杯優しくされたとしても、
きっと虚しさを感じてしまうだろう。
ということは、他の誰かに対してよりも、自分の中の恐れをなんとかしたほうがいい。
それには、恐れを直接解消していくという考え方もあるが、
恐れは愛が増えることによって追い出されていくのだから、
自分から愛を育て、発揮していくという考え方がある。
これなら、自らのチカラでより取り組みやすい。
<愛とともに>
犬や猫などのペットが愛される大きな理由は、
飼い主であるあなたへの愛を発信するからだ。
相手から愛されるために何かをするのではなく、
純粋に誰かのことを愛していくこと、
自分を愛で満たしていくことで、
人生を愛で満たしていくことができる。
そんなあなたであれば、愛してくれる人たちもきっと増えていく。