気づきの伝道師 藤井一規です。
科学は真実を知ることに役立っている。
芸術もそうだという。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「芸術とは、われわれに真実を悟らせてくれる嘘である」
by パブロ・ピカソ(西の画家、彫刻家)
確かに芸術は、事実をそのまま表現するとは限らない。
そうでありながら、心を動かす何かを持っている。
その何かを受け取る心を持っていたい。
もうしばらく考えていく。
<心を動かすもの>
芸術作品を見て、
大きく心を揺さぶられることがあったりする。
映画で感動した!って体験も、
考えてみれば、映画の世界は作り物の世界だ。
事実ではありえないようなSFや物語でありながら、
心震える体験をすることがある。
音楽にしても、それが誰かによって生み出されたものでありながら、
心の琴線を弾かれたような感覚を持つことがある。
事実そのものではなくても、
私たちの中で、本物だと捉えられたものは、
事実と同じように、心を動かすものとなっていく。
<心の表現>
誰もが、自分の心のありようを
言葉であったり、態度や身振りで示している。
芸術はそれを、モノの形であったり、色であったり
音であったり、動きであったりで、表現していると考えることができる。
作り物でありながら、
心のありようとマッチするところがある。
もちろん、何が何だかわからないってこともある。
しかし、たった一つのことから、
ものすごく奥深いことが伝わってきたりする。
<丙子満祥>
今度の煎茶のお茶会で、丙子満祥という茶碗を使う。
「子」は、十二支のねずみで、「丙」は、ひのえ。
「丙子」は60ある順番の13番目を示している。
60歳になると還暦というのは、60ある暦が一巡して戻ってくるからだ。
「丙子満祥」は、たとえば「ひのえ ねずみの年、満(万、すべて)祥(めでたい)」
という意味になる。
だとすると、60年に一度しか使えない茶碗!?
最近の「丙子」の年は、1996年。
ところが、作者の四代、三浦竹泉は1976年没。
その前の1916年はというと、竹泉は5歳。
どうやら丙子は年のことではないとわかる。
となると、丙子は月の可能性が大きくなる。
60ヶ月、5年に一度やってくる。
丙子の月のときに、祝い事があって作ったのかもしれない。
では、5年に一度の次の丙子の月はいつかというと、
2019年の11月、来月だ。
ということは、「来る11月がめでたきもの、素晴らしいものになりますように!」
というメッセージを来てくださった方に伝えようとしていることがわかる。
読み取ることができる人にとっては、
ああ、何という心遣い!ということになるし、
気づかない人にとっては、何やらおめでたそうな文字の書いてある茶碗ってことになる。
<受け取る心>
自分にはまだまだわからないことも多いけれど、
できるだけ受け取る、感じ取る能力を増やしていきたいもの。
目の前に、何かを伝えようとして生み出されたり、
伝えたいことがあって示されているものを
受け取れるようになっていきたい。