気づきの伝道師 藤井一規です。
物事はよく見る必要があるのでしょうか?
一つ一つを丁寧に扱うことは大切なことだけれど、
情報があふれかえっているこの時代、
情報の一つ一つを見ようとしていると、
それが何なのか?却ってわからくなってしまうことがあるようです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/19129/
この記事の目次
「物事を見すぎることで、それが持つ意味がまったく見えなくなることを僕は怖れる」
by アンディ・ウォーホル(米の画家、版画家、芸術家。ポップアートの旗手)
明らかに現代は、以前に比べて変化が速くなっている。
自分に押し寄せてくる情報も大量だ。
そんな中にいると、わけがわからなくなって、
自分を見失ってしまうことになってしまいがち。
そんな現代をどう生きていくのか、
もうしばらく考えていく。
<スピードアップ>
人が発明をするたび、
速く、たくさんのことが起こせるようになってきた。
便利にしようとすることは、
速くたくさんを可能にすることだ。
そして、目の前に居なければできなかったことすら
離れたままでもできるようになってきた。
特に近年、通信、情報のやり取りが爆発的に増え、拡大しつつある。
自分が何かを求めなくても、情報がやってくる。
そしてそれが次々、休みなく押し寄せてくる。
また、今まで大事にしてきたことが、ある日別のものに
取って代わられてしまうことも度々起きるようになった。
自分がより所にしていたものも、
いつの間にかなくなってしまったりする。
<大量の情報の中で>
こんな状況にいると、
ふと自分がどこにいるのか、何を求めていたのかすら、
わからなくなってしまうことが起きる。
次から次へ、自分では処理しきれないことがやってくる。
ひとつ、ひとつ、丁寧に見て、聞いて、扱う価値があるけれど、
大量につぎつぎやってくるとしたら、
そのうち何が何だかわからなくなってしまったり、
それらが濁流のごとくやってくるとしたら、
自分自身が押し流されてしまったりする。
<ときには俯瞰>
、
ときには、意識を変えて、
全体を上の方から俯瞰して眺めてみる。
あれこれとスピード速く、いろいろなものがやってくるときも、
高いところから全体を眺めてみると、
何が起きているのか、なんとなくつかめたりする。
何が起きつつあるのか、これからどうなっていこうとしているのか、
ミクロ的にあつかっていると、わからなくなってしまう。
これは何だろう?と一つ一つを見すぎることで、
なぜ今ここにあるのだろう?
といったことに気付けなくなってしまう。
激流の中にいる時間も大事だけれど、
ときには俯瞰してみると、気づくことがきっとある。