気づきの伝道師 藤井一規です。
誰しもがなんらかの悩みや心配事を抱えているものです。
自分ではどうしようもないことにも関わらず、
苦しんでいることも多かったりします。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「悩みや心配事には二つの種類がある。君が何かできるものと、どうしようもないものだ。後者については、時間をかけてもしょうがない」
by デューク・エリントン(アメリカのジャズ作曲家、ピアノ奏者、オーケストラリーダー)
悩みや心配事には、自分で何とかできるものと
どうしようもないものとがある。
この区別をすることは、人生において重要なこと。
もうしばらく考えていく。
<誰の問題?>
悩みや心配事を抱えたとき、
まず、それは本当は誰の問題なのかを考えてみる価値がある。
子供が学校に行きたいくないって言ったとき、
それは一大事と、親が何とかして学校に行かせようとしたりするが、
学校に行かせることができたらそれでいい、
というものではなかったりする。
問題を抱えているのは、子どものほうで、
問題は学校に行かないことではないだからだ。
本当は誰の、どんな問題かを見極めないで
対策解決しようとしてもうまくはいかなかったりする。
<それは何とかできるものか?>
また、何か新しいことに取り組もうとするとき、
まず、やってみよう!という人と、
こうなったらどうしたらいい?
ああなったらどうしたら?
と、際限なく、疑問を投げかけ、始められない人とがいたりする。
確かに未来に何が起きるかは、わからないかもしれない。
しかし、起こる可能性が高いとわかっているわけでもなく、
ただ、あれこれと悪い事態を想像して、
やってみよう!試してみよう!とする心をくじくようなことばかりにしているのだとしたら、
考え直したほうが良さそうだ。
とても低い確率で起きること、しかも自分ではコントロールしようのないことを
あれこれ心配することにはあまり意味がない。
<何を重視?>
人生の時間は限られている。
自分でなんとかできること、効果が高いことならば、時間をかける意味がある。
自分ではどうしようもないことに、長い時間を費やして、
得るものが少ないというのはもったいない。
自分の時間を何に当てていくのか、
今一度考えてい見てもいい。