気づきの伝道師 藤井一規です。
何かをそれっぽくすることは、
それほど難しくなかったりします。
しかし、実は奥深く、その奥深いところに至るには難しかったりします。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「ブルースを演奏するのは簡単だけど、感じるのは難しい」
by ジミ・ヘンドリックス(アメリカのミュージシャン)
表面的にわかってすることと、その奥にあるモノがわかってすることとには
ものすごい違いがある。
奥深さに気づいていくことについて
もうしばらく考えていく。
<ブルース>
ブルースを演奏するときには、その特有のフレーズ、
節回しがあったりする。
そのパターンを使ったり、譜面をみて演奏すると、それっぽく演奏することができる。
しかしながら、単に譜面をなぞっただけなのと、
そこにある深い思いを感じならが演奏するのとでは
大きな違いがある。
その違いが判る人にとっては、
いくら表面的に取り繕っていても不足感がうまれてくる。
<お茶会の亭主>
先日、お茶会の亭主をさせていただいて、
しつらえや、道具を紹介し、思いを伝える立場に立った。
選定については、お家元がされており、
作者や銘といった概要は教えていただいた。
その通り伝えれば、それはそれで形は成り立つと思われた。
そんな形式をただ、たどるお茶会もたくさんある。
しかし、本来はどういう思いでこれを選んだのか?
来ていただいたお客に何を伝えたいのか?
のほうが重要だ。
そこを聞いて、伝えるだけでは足りないなと感じ、
今回は、自分なりに勉強し、家元の意図とおもわれるところを
モノにしようと考えた。
<奥深さ>
すると、気づくことがたくさん出てきた。
先日のアラカルトで書いた、「丙子満祥」のことだけでなく、
鶴と仙人との関係、鶴と松との関係、お祝いについて
花の画題など、知っておけば、ちょっとした一言で深く伝わることが
たくさんあることがわかった。
高価なもの、珍しいもの自慢のような茶会もあるが、
何気なく選ばれているようなモノに、
実は暖かいメッセージが込められているかもしれない。
お客としてそのことに気づくことができたなら、
心遣いに感謝することができる。
多くを気づいてくれるお客がいてくれたなら、
亭主としてもうれしくなる。
違いが判る人になっていきたいものだ。