気づきの伝道師 藤井一規です。
重荷を背負っていることは、不利なように思うかもしれません。
しかし、重荷があるからこそ頑張れたりするものです。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「重荷があるからこそ、人は努力するのである。重荷があるからこそ、大地にしっかりと足をつけて歩いていける」
by 野村克也(元プロ野球選手・監督・野球解説者、野球評論家)
重荷があるからこそ、その分まで努力する。
重荷があるからこそ、大地に足をしっかりとつけられる。
どうしてこのようなことが起きるのか、
もうしばらく考えていく。
<重荷>
人生を考えるとき、もし重荷を背負っていると考えるなら、
不利なことだったり、大変なことだったり、ハンディキャップだったりのように
思えるかもしれない。
しかし、重荷の分があろうとなかろうと、
手にいれたい未来に対して、
努力をしていく必要がある。
重荷を持っていれば、より大変な努力が求められるかもしれない。
しかし、人は自分のために何かをするよりも、
自分だけのためだけではなく、誰かのためにしたほうが、
よりチカラが湧いてくると言われる。
<重荷の意味>
その重荷は、持ちたいと望んだものではないかもしれない。
しかし、自分が運ぶ意味があり、価値があると考えたからこそ背負っている。
自分が役に立っている、自分に価値があると思えることは
人が生きていくために大切なことだ。
だから、大切にしたい何かを持っていたほうが、
そのために頑張るチカラが湧いてきたりする。
たとえ重荷の分、大変な努力となろうとも、
取り組む意欲の源になってくれたりする。
<荷があればこそ>
貨物船は、荷物を積んだ時に安定するように設計されている。
荷物が全くないときには、重心が高い位置になってしまい、
安定しなかったりする。
そのため、わざわざ海水を取り込んで、
重心を下げるようなことをしている。
そう、重荷を背負っていることは、
一歩一歩進むその足に、確かな感覚をもたらしてくれる。
ともすれば、浮ついた気持ちになりそうなときにも、
確かな足取りにさせてくれる。
重荷があることは、不利だと考えることもできるが、
有利な点であったりするのだ。