気づきの伝道師 藤井一規です。
自分の進む道は、他の人からも評価されたいものです。
しかし、評価されようとしていると、
期待した評価が得られないと、意味がないことになってしまいます。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」
by 坂本竜馬(江戸時代末期の志士、土佐藩郷士)
自分が成そうとしていることは、自分だけがわかっていればいい。
というと、なんだか自分勝手にいけばいい、
そんな風にとる人がいるかもしれない。
しかし、この言葉はちょっと違うよう。
もうしばらく考えていく。
<意味>
自分が成そうとしていることは、自分だけがわかっていればいい。
だから、他の人が何と言おうが関係ない。
自分は自分の道をいくのさ。
と、利己主義的な、わがまま気ままに生きていくことを
正当化するために使われることがあったりする。
しかし、竜馬の人生を考えるとき、
わがまま気まま、という言葉とは違和感がある。
竜馬が成そうとしていたことは、
日本のことを想い、日本を大きく変えようとすることだった。
わがままとは程遠いからだ。
<評価>
世間の人の評価は、今現在の世間の常識や、風潮で下されるもの。
なんとか日本を変えなければと奮闘していた竜馬がしようとしていたことは、
今現在の人たちにとっては異端なことということになる。
だから、評価されないのは当然のことだと
竜馬はわかっていた。
未来の人たちでなければ、その価値は理解されないと
竜馬は知っていた。
私たちは、親や先生からほめられたい、認められたい
という思いをいただいて育ってきた。
大人になってからも、周りから認められたい、
自分には価値があることを感じたいと思っているもの。
だから、そこから外れてしまうことを避ける傾向がある。
<本当に役に立つことに>
竜馬は、今の評価より、未来からの評価を意識していた、
と言えるかもしれない。
今の世間からは何と言われようとも、
未来の日本の人達からみたときに、
ああ、竜馬のおかげで助かった、良かったと言ってもらえる。
そういうことを成そうとしていた。
今日の一言は、そういう意味でとらえていきたい。