気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは自分など取るに足らないと考えがちだけれど、
人それぞれ、誰もが優れたところを持っています。
そのことに気づき、大切にしていくことについて
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「人間は皆、なにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない」
by 吉田松陰(武士、思想家、教育者)
誰にも優れたところがある。
どんなところが優れているかは違っても、
そこに序列はない。
吉田松陰が気づき、活かしていったこのことは、
日本を変えることにもつながった。
もうしばらく考えていく。
<吉田松陰>
明治維新という、日本の大革命を考えるとき、
吉田松陰を外して語ることは難しい。
明治維新の時代に活躍した
総理大臣2名、国務大臣7名、大学創設者2名が
吉田松陰のいたときの松下村塾で学んでいたことは注目に値する。
さらに、経済界で大活躍した者もいて、
特定の分野に限っていないこともすごい。
<学びの場>
吉田松陰が学びの場を開いたのは、
牢獄にいたときだった。
牢獄の中は、あきらめの空気や、怠惰な雰囲気になりがち。
活気にあふれた状態とはなりにくい。
吉田松陰が学のあるところを示したところで、
学ぼうとするものは少なかっただろう。
受刑者や、そこに勤める者には
学のある者もいたが、そればかりではなかったし、
教えようとか、学ぼうという意欲に欠けた世界だった。
ところで、牢獄の中には、いろいろな職業の人がいた。
それぞれが、その道の専門家として生きてきた。
大工だって、遊女だって、その道ならでは、知っていることがある。
そして吉田松陰は、学びあいの場を作った。
だれもが先生になれること、教えること、学ぶことの楽しさを伝えていった。
<誰にもある、その人の宝>
誰もが、他の人から見たら光り輝く純金を持っている。
それは、聖人君子と何ら変わらないものだ。
どんな人でも、他の人からしたらハッとするようなことを知っていたりする。
自身にとっては当たり前でも、他の人にとってはありがたいことだったりする。
そのことに気づくチャンスを設けることは大切。
もし、気づくことができたなら、自分に自信が持てるし
さらに自分を磨こうという意欲につながったりする。
誰もわからなくても、一緒に考えようとする仲間がいたら、
何か糸口を見つけられたりする。
そこから発展していくことができる。
自分だけで何とかするだけでなく、仲間のチカラを活用することも
大切なことなのだ。