気づきの伝道師 藤井一規です。
日々を送る中で、生きていると様々な問題が起きてきます。
誰にでも起きているのに、何とか乗り越えたり、
やり過ごしたりすることができやすい人と
できにくい人とがいます。
そこには、どんな違いがあるのでしょうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「奇妙なことだけど、現実の問題よりも想像上の心配事のほうが耐え難いのです」
by ドロシー・ディックス(米のジャーナリスト、コラムニスト)
問題は同じように起きていても、
人によってとらえ方が違ってくる。
その一つに、問題を事実、現実に目の前にあるモノとして捉えるか、
目の前にあるモノ以外に、想像の中で発展させてしまうかがある。
もうしばらく考えていく。
<現実の問題>
私たちは問題の中にいるとき、
自分の全てが問題に囚われているような気持ちになったりする。
しかし、冷静になって考えてみると、
問題だけがあるわけではなくて、なんの問題がないものもある。
だから、問題だけを扱うことが可能。
いろいろなことが絡み合って複雑怪奇なもののままにしておくと、
正体不明な感じがして、安心していられなくなるが、
出来る限り問題の正体を明らかにしていくと、
意外にその問題は小さなものだってわかったり、
単純なものだなって気づいたりできる。
ただやり過ごせばいいようなものだとわかったりする。
<想像は拡張する>
ところが、問題を正体不明なままにしておくと、
その問題がどんな動きをするのか、
何を引きおこすのかがわからなくて、心配になったり、不安になったりする。
そうして起きてきた心配や不安は、
際限のない想像を伴いがちだ。
私たちの持つ想像力は、無限の可能性を持っている。
ということは、望ましいことにも活用できるが、
逆に絶望的なことにも無限に拡張するってこと。
もし、マイナス方向の想像が拡がってしまうと、
現実の問題とは比べ物にならないものになってしまう。
<想像は望ましいことに>
私たちは想像上のことであっても、現実に起きたことと
同様な反応がおきる。
心も、身体も、豊かな経験をすることができる。
このことは、もし、絶望的な想像を膨らませることが
何を引き起こすかを教えてくれている。
問題は、現実のことだけをもとに、
正体を明らかにして取り扱ったほうが賢いと言える。
想像力を使うのは、望ましいことにしたい。