気づきの伝道師 藤井一規です。
自分の全てを告白することは、できませんが、
自分を出さないままでは、伝えることはできなかったりします。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「完全に自己を告白することは、何びとにも出来ることではない。同時にまた、自己を告白せずには如何なる表現も出来るものではない」
by 芥川龍之介(作家)
自己開示をするには、難しい点がある。
何かを伝えようとすれば、素直な自分をだしていくことが
重要な要素になる。
能面のような人であったり、
いかにも演技をしているように思われたら、
信用されなかったりする。
もうしばらく考えていく。
<自分を知る>
自己を意識して開示しようとするとき、
自分を知っていないとできなかったりする。
しかし、意外に自分は自分のことをわかっていなかったりする。
自分では気づいていないことを、
あなたとともにいる、周りの人のほうが気づいていることもある。
また、あなた自身も、あなたの周りの人も気づいていないあなたがいたりする。
自分のことをより知ろうとすれば、
まだ知らない部分があったりする。
今まで経験したことのない事態になったとき、
新たな自分と出会えたりする。
<感情の動くところ>
私たちは、自分と同じところのある人がいたら、
共感したり、嫌悪したり、なんらかの反応が生まれてくる。
自分と喜びを感じるところが違っていても、
喜びを感じること自体には共感が持てたりする。
怒りをもったりすること自体には共感が持てたりする。
その人なりの感情が動くことが、共感を呼び、
説得力を増していったりする。
感情が動くとき、その人の中で、その人らしさが発動している。
<自己の告白>
自己の告白と言うと、なんだか重いこと、
出来るだけ避けたいことのように感じるかもしれないが、
感じること、思うことを自然に出していけばいい。
変に、より以上の自分、格好よさを演じようとかすると、
却って眉唾なものになってしまいがち。
素直に思ったこと、頭に浮かんだことを
表現しさえすれば良かったりする。
変に飾ろうとせず、
自分らしくいる時間を持ちたいもの。