気づきの伝道師 藤井一規です。
自分自身を大切にすること、
尊いものとして扱うことは大事なことです。
同時に、他者を大切にすることもしていきたいものです。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「自らを尊しと思わぬものは奴隷なり。自らをすてて神に走る者は神の奴隷なり」
by 夏目漱石(作家)
テロ事件などを見ていると、
自分の信じるところのために、自らの命を捨ててしまっている。
大義のために自らを犠牲にすることが素晴らしいことだと
信じているわけだが、とても同意できない。
また、自分を大切にしようとして、
他人をないがしろにするというのも、何かがおかしい。
もうしばらく考えていく。
<ローマ教皇フランシスコ来日>
自分のことを大切にしたほうがいい。
ただ、だからといって、自分を大切にするために
他の誰かをないがしろにしてもいい、というわけではない。
先日日本を訪問したローマ教皇フランシスコの言葉は、多くの示唆に富んでいた。
後日にも取り上げていくが、多くの情報がネット上にもあり、もっと知っておきたい。
心にとまったことのひとつは、世界中で進みつつある傾向ではあるが、
日本は世界でも最も孤独化が進んでいると言えるかもしれないことだ。
日本は「国は貧しい人々の面倒を見るべき」と考える人、
ボランティアや寄付をする人、人助けをする人の比率が、
他国に比べて極端に少ないことが調査でも明らかになっている。
<内向き傾向>
日本人はもともと、孤高であること、
孤独や困難をものともしないことを美徳と考える傾向があった。
最近では「自分らしさ」「自分と向き合う」「ありのまま」
といった言葉に象徴されるように、
さらに意識は、内向き偏重になりつつある。
他人と直接かかわることを避けようとする人たち、子どもたちが
どんどん増える傾向にある。
しかし、自分を尊いものとして扱おう、という言葉は、
自分さえ大事にすればよい、という意味ではない。
自分をカッコいい存在に見せよう、というものでもない。
自分と同じように、他人を尊い存在として扱うことが求められている。
直接、他の誰かとコミュニケーションすることを避け、
SNSなどのサイバー空間の中だけで付き合おうとしたり、
自分が充実していること、いわゆるリア充をインスタグラムなどで示そうとする傾向は、
他人から自分がどう見えるのかばかりを意識し、
本当の自分をさらけ出すことをしなくなっていっている傾向を示していて
危険だと言っていい。
<見せかけの自分の奴隷>
自分を尊ぶとは、自分を格好よく見せることではない。
格好悪くても、泥臭くても、失敗しても、尊い存在として大事にすることだ。
また、自分を大事にしていくためには、
他人をないがしろにしていくわけにはいかない。
お互いに、自分さえ良ければいい、と考えているとしたら、
そんな恐ろしい社会はない。
自分が安心していられる社会の実現は、
お互いを大切にする心なしには成立しない。
テロリストはなんらかの大義の奴隷となった恐ろしい存在と言えるが、
今進行している大衆の孤独化も、見せかけの自分の奴隷となった恐ろしい傾向だと言えそうだ。
今一度、自分がどうあるべきなのか、考える必要がある。