気づきの伝道師 藤井一規です。
人によって、何が心に響くかは違っています。
また、ちょっとしたことにも大きな影響を受ける人もいれば、
大変なことがあってもあまり動じない人もいたりします。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「他人の感受性を軽蔑してはいけない。感受性はその人の才能なのだ」
by シャルル・ボードレール(仏の批評家、詩人)
自分と感じ取るところが違うからと言って、
周囲の変化を気づかないからと言って、
他人の感性を軽蔑してはいけない。
人それぞれの感受性があるものなのだ。
もうしばらく、掘り下げていく。
<感受性>
感受性とは、感じて受け留める能力のことだ。
自分の興味のあること、大切にしていることに関しては
誰しも感受性が高くなる。
興味のあること、大切にしていることは、
ひとりひとり違っているから、
気づいたり、感動したりする場面は人によって違っている。
例えば、同じ映画を見ても、
印象に残った場面を聞いてみると、
人それぞれだったりする。
自分と同じでないから、自分が気づいたことが気づけていないからと言って、
軽蔑することはできない。
<感受性の高低>
また、人によって感受性が高い人もいれば、
あまり感じない人もいる。
自分にとって大きな意味のあることですら、
ちょっとしたことに大きな影響を受ける人もいれば、
ほとんど影響を受けない人もいる。
自分にとって大きな意味があれば、
反応すべきじゃないのか?
と考えるかもしれないが、
あまり感じないことも、冷静に捉えることができるメリットもあるし、
周りに左右されて過ぎてしまうのも対処に困ったりする。
感受性の高低も、その人ならではのものだ。
<ひとりひとり>
誰しも自分は正常だ、普通だと考えがちだ。
だから、自分と違う人をつい変だとか、おかしいと思ってしまったりする。
しかし、その人がどんな感受性を持っていても、
優劣をつけることはできない。
そういう特性を持っているのだ、ということだ。
ただ、望めば多くのことに気づくことができ、
望めば理性的にコントロールできる方がいい。
自分がどんな傾向を持っているかを知り、
どのようになっていきたいかを思い描いて、
鋭くしたいところは鋭くし、
鈍くしようとすれば鈍くなれるようになっていきたい。