気づきの伝道師 藤井一規です。
あなたは自分の道を見つけられているでしょうか?
見つけているのなら、それはどのようにして見つけたのでしょうか?
もし、誰かに道を見つけてもらいたいのなら、
どうすればよいのでしょうか?
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「光を与えれば、人は自ずと道を見つける」
by ダンテ・アリギエーリ(伊の詩人、政治家、哲学者)
自分がやってみたいことを持っているって素晴らしい。
もし、どうしてもやってみたいという気持ちが起きたとき、
人は自分で方法を見つけることができる。
それでは光を与えるとは、どういうことなのだろうか?
もうしばらく、掘り下げていく。
<やる気を起こさせたい>
あの子に、あの人にやる気を出してもらいたい。
変わってもらいたい。
そう思うことがあるかもしれない。
そんなとき、私たちはつい、相手に熱心に勧めたり、
説得しようとしたり、いわゆるやる気のような「熱」を与えようとする。
しかし、過去と人は変えることはできない。と言われるように、
思い通りに他人を動かすことはほぼできない。
相手を変えようとすることは、良かれと思ってすることなのだが、
私たちのエゴでしかなかったりする。
相手が自分で意欲を起こさない限り、変わっていはいかないのだ。
<光を与える>
相手を直接変えることはできないが、
希望の光を見せることはできる。
喜びの光を示すことはできる。
可能性の光を当てることはできる。
もちろん、私たちが考える希望であったり、喜びであったり、可能性が、
相手の心に響くとは限らない。
ただ、相手のことを知っているのなら、
身近でいるのなら、
何に好ましい反応を示し、何にそうではないかがわかる。
どんな光が心にヒットするか、近いものを見つけて
その光を与えることで、新しい選択肢を増やすことができる。
選ぶかどうかは相手が決めることだけれど、
魅力的な選択肢を示すことはできる。
これが光を与えることだ。
<光のもたらすもの>
人はどんなにつらくても、
未来に希望が持てるときには耐えることができるという。
未来の希望は暗闇の中に差し込んでくる光と考えることができる。
魅力的な光を見つけたとき、
人はそれをつかもうとする。
人はときに楽な道を選んでしまい、苦しいわけでもないときは、
怠惰なままになってしまうこともある。
美しい光を見ても手にいれようとしなくなったりする。
けれども、どこかで変わりたい、という思いも抱えていたりする。
新しい選択肢となる光をもたらすことができるようにしていきたい。