気づきの伝道師 藤井一規です。
人への信頼を持ち続けることができるかは、問われることのひとつかもしれません。
親しまれながらも多くの人を動かした人たちは、愛を大切に生きていると言われます。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「臆病な者は愛を表明することができない。愛を表明するとは勇敢さの現れである」
by マハトマ・ガンジー (インドの政治指導者・思想家・インド建国の父)
インドの独立を非暴力で勝ち取ったガンジーの行動の底には愛があった。
世界の不幸の4分の3は、敵の懐に入り、彼らの立場を理解すれば消えるだろうと言ったガンジーは
愛を表明し、行動することが重要だと考えていた。
もうしばらく、掘り下げていく。
<臆病さと愛>
臆病者は愛を表明することはできないと言ったガンジー。
臆病さと愛とは、一見するとつながりがないように思うかもしれない。
しかし、ガンジーは自分の人生において、
臆病さと向き合うことは重要なことだと考えていた。
相手を打ちまかそうとするのは、臆病さがあるからだと気づいた。
誰かを傷つけることなく、インドを独立させたいと考えたガンジーは、
臆病さを乗り越えた、「愛」こそが重要だと考えた。
それは、困難な道のりであっただけれども、
最も望んだことだった。
<愛って何?>
愛って何だろう?
人によって、その定義は異なるかもしれない。
これが愛だと、明らかに示せるような物体があるわけではない。
それでも、どんな人の中にも、これが愛なんじゃないかって、
思えるものがある。
それに誰もが愛を感じていたい。
自分を温かく包み、許し、安心をくれるもの。
愛を持つものは、最も強いと言われたりするのは、
愛は許すことがベースにあるからだ。
弱い者ほど、自分を傷つけるかもしれないモノを恐れ、許すことができない。
打ち負かして支配しようとしたり、
拒否し、否定し、自分からは遠ざけようとしたりする。
愛は勇敢でなければ表明できない。
自分を傷つけるかもしれないものも、
無防備に抱き寄せますよと宣言することになるからだ。
<愛を実践する者は勇敢なり>
愛を持つものは強い。
敵対しているものも、同志に変えていくことができる。
けれど、それはまた脆い存在でもある。
一瞬にして奪われてしまう危険も伴っている。
それがわかっているから、愛を表明するものは勇敢だと
ガンジーは言ったのだろう。