気づきの伝道師 藤井一規です。
正直であることは立派なことだと言われます。
しかし、正直でありさえすればよいのでしょうか?
正直ではあるが、それだけでよいとは言えないこともあるようです。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「正直であることは立派なこと。しかし正しくあることも大事だ」
by ウィンストン・チャーチル(英の政治家、ノーベル文学賞受賞作家)
正直であることは称賛されると思いがちだが、
正直なだけでは、不足なことがある。
ありのままでいることが礼賛されるようになって、
このことは今一度考える価値がある。
もうしばらく、掘り下げていく。
<正直なだけでは>
正直になることは大切なこと。
本来の自分を捻じ曲げて生きていくことには無理がある。
ところが近年、ありのままでいることのすばらしさが強調されるようになって、
大事なことが見逃されている場面に出くわすことがある。
それは例えば、何か悪いことをしてしまったとき、
正直であればよい、と考えて、
「私がやりました。申し訳ありません」と謝ったとする。
確かに、隠そうとするより望ましいと思われたりして
それだけを捉えると問題には思えないかもしれない。
しかしながら、
やむにやまれない状況でしてしまったことと、
バレなければズルいことだけれどやってしまおう。
と考えてやっていることとは
全く異なることに気づいておく必要がある。
<正しくある>
例えば、ズルいことをしてしまった人が、問題だと指摘したあなたに
「わかった。そうだ、私がやった。正直に言ったんだから、いいだろ!」
と言ったとしたら、どうだろう?
思わず、「そういうことじゃないだろ!」
と言いたくなる。
そう、正直にあるがままを表明するだけでは、不足なのだ。
あるべき姿を目指して、努力しようとしていることが前提としてあって
初めて、正直さが認められることなのだ。
ありのままなだけでは足りないのだ。
<目指す自分>
もちろん、誰かが決めた理想の姿に
自分を無理やり合わせたりする必要はない。
しかしながら、心根の部分から
正々堂々としていられる自分を目指して生きていきたい。
正直なだけでなく、正しくあることも大切なのだ。