気づきの伝道師 藤井一規です。
自分探しとか、自分が何に向いているのかとか、
自分が何者かを知ろうとする人は多いものです。
実際どのようにしていけば明らかになるのでしょうか?
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「自分が何者であるか知りたいか?尋ねてはいけない。行動だ!行動が君を描きだし、そして明らかにする」
by トーマス・ジェファーソン(第3代アメリカ合衆国大統領)
自分は何者かを尋ねても答えは得られないが、
行動することで明らかになるとトーマス・ジェファーソンは言った。
どういうことなのか、
もうしばらく、掘り下げていく。
<何者かは決まっていない>
自分が何者か、聞かれたら現状の事実を答えることはできるはず。
ところが、誰もが現在実現していない
自分の可能性が存在していることに気づいている。
今現在のままで変化しないのではなく、
未来に向けて変化していくことができるということに。
しかしながら、何もしないままで
勝手に未知の自分になることができるわけではない。
行動を起こさない限り変化は起こらない。
自分が何者か?という疑問を投げても
答えを得ただけでは意味がないし、
その答えに縛られることが逆に自分を制限してしまう。
ほとんど意味がないのだ。
<目指したい自分>
しかし、目指したい自分は常にあるはず。
今の時点で目指したい自分に向かって、行動を起こすことができる。
行動していくと、なんからの変化が起きる。
新しい知識やスキルを手にいれたり、人間的に成長することもできる。
今までとはちがう場所に立つことで、
新たな地や海や、新しい頂上が見えてきたりする。
だから、今気づいている目指したい自分は、現時点でのことであって、
進んでいくうちに、新たに目指したいところがあることに気付いたりする。
それもこれも、行動あってこそだ。
<自分が創る>
自分が何者かは、あらかじめ決まっているものではなく、
自分が何者かになっていくもの、という方が当たっている。
父親になるのだって、形式的になるのと
自信をもって父親だと言えるようになるのとは違うはずだ。
誰かに聞いて答えが出てくるようなものではなく、
行動するうちに決まってくることなのだ。