気づきの伝道師 藤井一規です。
人としてなすべきことが存在していたりします。
ときに、それを実行することで、不利益を被ることが予測されることがあります。
どう判断するかで人間性を問われたりします。
しばらく掘り下げていきます。
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「義を見てせざるは 勇無きなり」
by 孔子(中国の思想家、哲学者)
「義」は、人としてなすべきこととされる。
必ずしも明確な定義があるわけではないが、
大多数の人たちが賛同する事柄になる。
しかし、それをすることで、
不利益を被る可能性にとらわれてしまうこともありえること。
もうしばらく、掘り下げていく。
<義>
義は、五徳あるいは五常である、
仁・義・礼・智・信のうちのひとつ。
人として守りたいことのひとつだ。
人としての義務という考え方ができるかもしれない。
しかしときに、それを実行することが不利益になる可能性があったりする。
犯罪を目撃したとして、あなたが目撃したことを犯人が気づいたとすると、
犯人があなたを脅す可能性があったりする。
いじめの場面を目撃したあなたが、先生に報告したら
チクったとしてあなたが標的になる可能性があったりする。
正しいことをすることで、不利益がやってくる可能性があるとき、
それを乗り越えるのには勇気が必要になる。
面倒に巻き込まれたくないと、
「さわらぬ神に祟りなし」
に流れてしまうことがある。
<義の発動>
2008年6月8日秋葉原で無差別殺人事件が起きたとき、
事件報道の中で被害者を救護する一般の人たちの姿があった。
犯人への思いとは別に、
被害に遭われた人たちを助けようとしている人たちの姿は
大きな救いを感じさせてくれた。
近年の集中豪雨、台風の大型化で、
今後も被災者が生まれてしまう可能性は高い。
つい先日、住んでいる地域に竜巻注意報が出ていた。
もし竜巻に直撃されたら、被害をまぬかれるのは難しいかもしれない。
何か想定外のことに巻き込まれてしまうことは、
誰にも起きうることだ。
困っている人をできる範囲でいいから
助けようと行動することを心に留めておきたい。
今後、より重要になっていきそうだ。
<行動しやすく>
それでも、先に述べたように、
何らかの不利益が予想されて行動できない人がいるかもしれない。
そうした人たちも、すべきことと、それが出来ずにいることとの間で
苦しんでいたりする。
単純に責めるばかりではなく、
本来の姿になれるためにできることはないか、
考える価値はきっとある。