気づきの伝道師 藤井一規です。
人から中傷されることは辛いことです。
しかし、誰からも快く思われようとすれば、
自分を見失ってしまいやすくなります。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「中傷を受けない賢人よりも、中傷を受けても動じない賢人のほうが格が上だ」
by ルキウス・アンナエウス・セネカ(ローマ時代の政治家、哲学者、詩人)
根拠のない嫌がらせや悪口である中傷は、嫌なものだ。
場合によっては、実際の暴力以上に辛いこともある。
もうしばらく、掘り下げていく。
<中傷は目立つ相手に>
近年、ネット上に書き込まれる誹謗中傷が
問題視されるようになった。
これらがいじめなどで、使用されることも多い。
誹謗中傷への対処は、セネカの生きたローマ時代から、課題のひとつだったと考えられる。
ただ、中傷されるということは、
それだけ注目されている存在であることも間違いない。
羨ましい、妬ましいから起きることも多く、
それだけ素晴らしいところがあるという可能性が高い。
そのうえで堂々としていられる人間は、
格が違うと言えそうだ。
<中傷は暴力>
しかしながら、人は他人から認められたいという思いを持っている。
周りの人たちからの、冷たい視線は非常につらい。
ネット上では匿名性を得られやすく、
大丈夫だろうと思い、軽い気持ちで、
ときには正義感から、ときには腹いせから、ストレス発散のつもりで
あることないこと悪口を書いたところ、
それがあっという間に広がってしまうことがある。
それがもとで、傷つき苦しんでいる人たちがたくさんいることを知っておく必要がある。
<中傷を受けたとき>
どんなことをしても、しなくても
批判したり、誹謗中傷する人が現れる可能性はある。
もちろん、指摘が事実であり襟を正す必要があるなら、
反省し、修正する必要がある。
しかし、根拠のない誹謗中傷なのであれば、
自分の在り方を曲げる必要はない。
堂々としていればいい。
ただ、誤解が生まれにくいような工夫はしたほうがいいかもしれない。
誹謗中傷があまりにひどい状態であれば、
信頼できる人に相談することもできる。
警察や弁護士はじめ、ネット上などのことで対応する業者も増えてきている。
そして、この言葉を覚えておきたい。