気づきの伝道師 藤井一規です。
無理することなく、自然な流れに乗ることで
いつの間にかうまくいく。
そんな状態を生み出すことができたら素晴らしいですね。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「現実を現実として、あるがままに受け入れなさい。物事をそれが進みたいように、自然に前に流れさせてやりなさい」
by 老子(古代中国の哲学者)
老子の思想は、「無為自然」だと言われる。
その根幹を示しているようなこの言葉。
無為というと、何もしないこと、流れのままという意味のようにも取れるが、
そうではないかもしれない。
もうしばらく、掘り下げていく。
<無為自然>
自然は、それ自体があるがままのことだ。
現実をあるがままに受け入れることは大切なことだ。
現実を自分の想像に合うように、
捻じ曲げて受け止めたって事実は変わらない。
また、気に入らないからといって、正面切って大河の流れを変えようとしても
ものすごい労力を使う分の成果を出すことは難しい。
大河があるがままを受け入れて、
作為を加えない「無為」のようにしておけばいい。
というと、なんだか透明感のある生き方だなって思える。
<為さざるなし>
しかし、老子の思想はそうではないはずだ。
老子は、無為でありながらすべてを為すことが大切だとしている。
それはいったいどういうことなのか?
ヒントは、後半の
「物事をそれが進みたいように、自然に前に流れさせてやりなさい」にある。
たしかに、世の中の流れを変えようと正面切って
ルールを変えようとしたりすれば、大きな抵抗が起きる。
今までメリットを受けてきた人たちの反発は明らかだし、
コストや労力がかかり、批判を浴びる可能性が高い。
自然に逆らうことになるからだ。
しかし、自然の法則を利用して、あたかも何もしていないようでありながら、
望むように大河の流れを変えていく可能性がある。
<自然に進みたいように流れさせる>
水は高きから低きに流れる。
最終的に水を流したいところに流れていくように、
最も労力がかからず、しかも誰もが自然に起きてしまったと思えるように
準備し、工夫していくことが可能だ。
それから、世の中には「流行」することがたくさんある。
その中には、仕掛人といわれる人たちが、仕掛けたものがたくさんある。
こうした人たちは、意図するような流行が起きるように仕掛けをしていく。
例えば、今年の流行の色は、とか、今年は~スタイルがはやりなのよ
と言われたりするが、
なぜ「その色」なのか?
なぜ「そのスタイル」なのか?
そこに誰もが納得する必然の理由は見つからない。
なのにそれらが流行するのは、受け入れられそうなものを、
自然に思われるように意図して仕掛けている人がいるからだ。
流行に乗っている人たちは、
それが誰かが意図的に起こしたものだとか、流行に乗せられたとは思わずに、
自分は流行に乗っているんだと楽しんでいたりする。
この手法をだまそうとしたり、私利私欲のために用いるのはどうかと思うけれど、
望ましい方向に物事が進むように、
多くの人たちがそれが当然だったり、自然だよなって納得するように、
工夫していくことは賢いやり方だと言える。