気づきの伝道師 藤井一規です。
何のために生きるのか?と聞かれたら
何と答えるでしょうか?
もちろん、人それぞれでOKなのだけれど、
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「人のために生きる時、人生はより困難になる。しかし、より豊かで幸せにもなれる」
by アルベルト・シュバイツァー(神学者・哲学者・医者・オルガニスト・音楽学者)
世のため、人のために生きることを決めたシュバイツァー。
その人生は苦難の道を選んだものであったが、満足も大きかったようだ。
もうしばらく、掘り下げていく。
<格差社会>
近年は日本でも拡大していると言われるが、
格差は昔から存在していた。
アルベルトは比較的裕福な牧師の家庭に育った。
しかし、同級生とけんかになったとき、
それまで考えたこともなかった、格差に気づくことになる。
力の強かった彼は相手に勝ったのだが、相手は、
「俺だってお前の家みたいに、肉入りのスープを飲ませてもらえれば負けやしないんだ!」
と言ったという。
同じように学校で一緒に学び、遊んでいても、
実は大きな違いがあることに大きなショックを受けたという。
特に悪いことをしたわけでもないのに、
日々苦労している人たちがいる。
かと思えば、特段努力をしたわけでもないのに
お金持ちだったり、恵まれていたりする人たちもいるという不条理。
<恵まれたからこそ>
そして、このままいけば順調に一生を送れると思えた道は選ばず、
人のために生きようと決心する。
医師となり、医療の整っていなかったアフリカ ガボン行きを志願した。
言葉も通じない、ろくな診療設備もない。
屋外で診療活動をするような環境でありながらも
彼は活動をやめなかった。
今回、彼の表記にオルガニスト・音楽学者を加えているが、
オルガン奏者としての実力も高く、またバッハについての研究も高く評価されている。
これだけでも生活ができるほどだった。
ヨーロッパでオルガン演奏や講演活動をして資金を得ながら、
アフリカでの医療活動を続けていったという。
そこには、子どものときに気づいた、不条理を何とかしたい、
恵まれているからこそ得られたものを、誰かの役に立つようにしたい、という思いがあった。
<人のために生きる>
彼がアフリカの活動を続けられたのは、
人のために生きているとき、
自分のためだけに生きるだけでは得られない喜びがあることに気づいたからだ。
自分だけが満足する状態より、
誰かから感謝されること、他の誰かの喜び生み出すことで
自分もまた喜びが得られる。
喜びが2倍、3倍になることがわかったからだ。
自分だけが満足する状態を手にいれるよりも
難しいことかもしれないが、より幸せになれたからだ。
人のために生きることで皆が幸せになれるという、
理想的な状態が実現しうる。
考えてみる価値がある。