気づきの伝道師 藤井一規です。
時間は常に流れ続けていきます。
ついさっきの現在は、すでに過去になっています。
現在の捉え方について
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「川の中ではあなたが触る水が一番最後に過ぎ去ったものであり、また、一番最初に来るものである。現在という時も同じである」
by レオナルド・ダ・ヴィンチ(伊の芸術家、万能人)
時間を川の流れで表現したレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉。
詳しく言ったために、ちょっとわかりにくくなっているかもしれない。
時間と自分との関係について
もうしばらく、掘り下げていく。
<時間と川>
時間が流れて過ぎ去っていくことはイメージしやすい。
ついさっき自分の周りにあった現在は、すでに過去のものになっている。
ちょうど川の水が川上から川下へとながれていくように。
自分自身は常に現在という場所に存在しているけれど、
ついさっきと、今とでは違いがある。
さっき周りあった水は、川下へと流れ去り、
川上からやってきた水と入れ替わっている。
さっきと今とでは違う状況にあることになる。
<時間感覚>
毎日、朝起きたら顔を洗うとする。
今、改めて顔を洗うのと、最後に洗ったのとには、違いがある。
実際に起きていることと、記憶の中のこととは違って当たり前と
思うかもしれないが、
洗面所にいる自分は、今朝そこに立っていた自分とは一致しない。
今朝顔を洗ってから、今までの間で、
たとえはっきりとは意識はできなくても、
何かが違っている。
さらに、一昨日顔を洗ったことを想い出してみる。
すると、同じ想い出していることのはずでも、
今朝洗ったのと、昨日洗ったのとは違う感覚があることに気が付く。
どの一瞬も、その瞬間だけのモノ。
<一瞬一瞬>
最後に経験したことは、すでに過去になっていて
今は、新たに始めることができる瞬間。
過去にどんなことがあろうとも、
今、現在を新しく生きることができるということを示している。
人は記憶するという能力をもっていて、
活かすことができるけれど、
ときに、それがゆえに縛られていることもあったりする。
有効な記憶は活かしつつも、
今こそ全く新らたに始められると捉えて、生きていい。