気づきの伝道師 藤井一規です。
大きなことを成そうとするとき、
一人のチカラでは困難だったりします。
意外にも、大きなことを成すからと言っても、
その中心にいる人は強い人とは限らないようです。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「高い志と熱意を持ち、少数だけでなく、より多くの人々との共感を持てれば、どんなに弱い者でも事を成し遂げることができるでしょう」
by 津田梅子(教育者)
明治の女性教育者と言えば、津田梅子は外せない一人。
4年後発行される新五千円札に描かれることが決まっている。
儒教的な女性像が一般的であった時代に、
女子大学をつくり上げていくことは、苦労も多かったに違いない。
それでも、成し遂げることができた。
もうしばらく、掘り下げていく。
<アメリカン>
津田梅子は、6歳の時にアメリカに発ち、
日本に戻ってきたときは17歳。
日本語を完全に忘れている状態で、
日本の風習も全くわからない状態だったという。
そんな彼女が当時の日本になじめなかったのは当然といえる。
女性は良妻賢母で家庭に入るもの。
大学と言っても花嫁修業の延長のように考えられがちだった。
やむを得ない理由がある場合は、仕事ばかりに集中。
家庭と仕事の両立という考え方はない。
そんな社会の風潮だった。
<高き志>
再びアメリカに留学した梅子は、
帰国しないで残るように引き留められたという。
しかし、日本での女性の高等教育実現という志に目覚めていた彼女は
帰国していく。
女性が一人で女子大学の創設など難しい。
そう誰もが考えた。
しかし、彼女は一人ではなかった。
彼女の考えに賛同した人たちがたくさん現れたのだ。
最初は厳しすぎたという話もあるが
実際、花嫁修業とは違う教育プログラムは、
すぐに大きな評判となったそう。
多くの女性から求められていたことでもあったのだ。
<共感を得る>
いかに巨大なことであっても、
中心人物がパワフルな人とばかりは限らない。
いかに協力してくれる人たちとつながっていくか
のほうが、はるかに重要だ。
津田梅子が共感を得ることができるのは、
未来に希望があると示せたからだ。
未来への希望が大きくなるには、高い志があったほうがいい。
高く輝く星が導くことで、未来がより素晴らしくなると確信を持てるからだ。
そして、実現したいという熱い想いがあるから、
周りの人たちの心が動かされていく。
積極的に協力してくださる方が多ければ、多いほど
本人が無理をしたり、強引に活動を引っ張っていかなくても、
自然に進んでいったりする。